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女性同盟結成60周年 「不屈の歩み 抱きしめて」

各地63カ所、約8300人が参加 風波刻む年輪が語る歴史

晴れやかに踊る女性同盟の顧問たち(10月5日、東京で)

 歳月とともに知識や体験を積み重ね、豊かな人間性を身につけた人を「年輪を積み重ねた人」と称えることがある。

 今年結成60周年を迎えた女性同盟は、まさにそうした厳しい時代の風波にさらされながら、「年輪」のような地道な仕事を積み重ね、大きな実を結んできた。その歩みを振り返り祝う多彩な行事が日本各地の女性同盟支部、本部、中央で開かれ、その参加者は63カ所、8298人を数える(11月21日現在)という。

 今年、初頭から現在まで、各地の行事や60年前の女性同盟結成大会に出席した人々、その家族を訪ね取材した。そこから見えてきたものを報告しようと思う。

 暑い盛りの7月1日、東京・足立で開かれた祝賀会。そこのチマ・チョゴリファッションショーの舞台に立った韓福順さん(79)。「お大師さん」と親しまれる西新井大師の近くでキムチ屋さんを始めて40年、家業をすでに娘にゆだねたが、女性同盟や学校行事にはよく足を運んでいる。

多くの人が踊りの輪に飛び入りした(18日、東京)

 韓さんは済州島生まれ。12歳で渡日して以来、7人姉弟の長女としてひたすら働き続け、20歳で結婚した後も4人の子どもを抱えて生計を支えてきた。

 「なりふり構わず働いた。塩にまみれ、唐辛子にまみれて不眠不休でキムチ漬けに没頭した」歳月だった。いまでは東京都内だけでなく、北海道から九州までの幅広い顧客から注文が飛び込む。近所の常連客からは「ソウルで食べてもここほどおいしいキムチはないよ」と言われた。日本人の食卓を一変させたキムチ。それをもたらしたのは、韓さんのような1世の労苦と知恵だったのである。

 長男の金哲秀・朝鮮大学校講師は「オモニが眠っている姿を見たことがない。運動会や学芸会にも来たことがなかった。でも、その一心不乱に働く姿が子ども心に気高く感じられた」と振り返り、「在日同胞史のなかで、これまでほとんど目が向けられなかった女性史について掘り起こしていかねば」と指摘する。

1世同胞をはじめ300人が出席した足立の集い(7月1日)

 そうした声は各世代の女性たちの中からも聞こえてきた。

 1年半をかけてDVD「herstory あの日あの時みんな若かった」を製作した責任者金春子・同足立支部国際部長は「地域の1世女性たちの聞き書きや手元に大切に保存されてきた秘蔵映像や写真などの記録を見ると、あらためて女性たちの果した役割の大きさを実感させられた。その力強い歩みに触れて胸が熱くなった。それを地域の同胞社会の大切な宝として今後も受け継いでいきたい」と指摘する。光が当たらない場所で、長い間黙々と誠実に仕事を積み重ねた地域の女性たち。時代の光を新たに照射することによって浮かび上がった「私たちの歴史」との出会いだった。

 女性たちにとって、女性同盟とは、いかなる存在なのか。こうした問いに的確に応えるのは難しい。オモニの大切さを数値で表せというようなものだから…。

 李琴順同大田支部顧問は43歳まで教員を務め、その後20数年間、女性同盟の活動家を続けた。

女性同盟東京本部結成60周年を記念して作られた「東京同胞女性と共に歩んだ60年」

 「私にとって女性同盟の活動が、最優先にあった。家族のことよりも、まず先に考え行動した。小さいことから大きなことまで年中行事がびっしり。その活動の合間に家庭のことをした、という感じかな」と話す。

 柳暎恵・大阪府本部子女部長にとって女性同盟とは、生まれた時からオモニと同義語に近いいわば「ゆりかご」のような存在だった。

 「いつも笑いが弾け、涙があり、朝鮮の歌と踊りがそばにあった。一方、やさしいアジュモニがバレーボールの試合では、闘志むき出しのスポーツウーマンに、日本当局の弾圧に抗議する闘いの場では、勇敢で大胆な女性活動家に変身した」姿が目に焼きついている。

 女性同盟のルーティンワークを丸ごと肯定的に受け止めた柳さんが、活動家として歩みはじめるのは、自然のなりゆきだった。それから10数年。「厳しい情勢が続いたが、同胞女性たちの愛情の中で、やりがいを見つけ、仕事の楽しさを実感した日々」だったと振り返る。

 また、金福連・東京顧問会会長(72)は自らの半生を「組織と共に歩んだ闘い、闘い、また、闘いの人生だった」と語った。「朝鮮女性としての品性を身につけ、祖国と同胞社会のために尽くすことができた。これ以上に幸せで、価値のある生き方を見つけ出すことは考えられない」ときっぱり話した。

 次の世代に引き継がれる歴史のバトン。女性同盟には在日同胞の民族圏を守り、民族性を保持、継承していく重い使命が課せられている。

 時代と世代がどんなに変化しても、私たちには譲れないものがある。「それは1世たちの受難の歴史と記憶であり、その不屈の歩みを抱きしめてこそ、明日が見える」−60周年を祝う各地の会場の片隅でそんなことを考えた。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2007.11.22]