〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 第17回口頭弁論での意見陳述書@ |
母国語で普通教育を受けるのは当然の「権利」 初級部から大学校まで朝鮮学校で体系的な民族教育を受けた私は、1965年から40年間、教職についてきた。 新任当時の65年4月から17年間、本件の中級部併設校であった東京朝鮮第2初中級学校で教鞭をとった。同校は、在日朝鮮人2世である私に人生の歩むべき道を教えてくれた貴重な場所であり、心の中でいつまでも忘れえない大切な場所なのだ。 当時の保護者たちは、この場所に自力で中学校まで建て教育事業を行っているという誇りを持っていた。子どもたちが立派な朝鮮人として生きていくよう、子どものため、学校のためなら何でもするという意気込みが、学校はもちろん枝川、塩崎の朝鮮人集落中にあふれていた。 私は本件裁判を機に20年ぶりに青春時代を過ごした同校へ足を運ぶようになった。当時12〜13歳だった教え子たちが、今では50代となり、本件を解決するため中心となって一生懸命がんばっている姿を見た。また、当時学校運営の中心となって活動していた30、40代の多くの保護者も、現在では70、80代を超えているが学校を守るためにとても苦労している姿も見た。 久しぶりに会った教え子が、子どもを同校へ通わす親となっており、私に「こんな裁判を起こされ、心配で夜もよく眠れない。絶対に学校を守りましょう。がんばりましょう」と私の手を取る。 そんな時私は、解放後60年以上も経過した現在も、朝鮮学校が「学校」として認められていないことへの怒りとともに、この裁判を機にすべての子どもたちが母国語で普通教育を受けることは当然の「権利」であり、行政はそれを保障する責務があるということを明らかにしたいと思った。 当時、私は家庭訪問先や先輩からの話を通じて、枝川に朝鮮人集落が形成された歴史をいろいろと聞くなかで、1940年に東京オリンピックの開催が予定されたとき、「環境整備」という理由で、浜園町や塩崎町のバラックに住んでいた朝鮮人を強制的に移住させ、当時とても人間が住む場所ではなかった枝川町に住むようになったことを知った。 現在も枝川で暮らすある同胞は、「戦後しばらくしても、枝川の部落は都のごみ埋立地で、ちょっとした雨でも道はぬかるみ、台風が来ると共同トイレがあふれ雨水に汚水や海水まで混ざって部落の中のあちこちにたまるなど、衛生状態、居住環境は最悪で人の住めない陸の孤島だった」と当時をふり返っている。 そんな中でも、枝川の同胞たちは子どもたちの教育を最優先課題として、この問題に取り組んだ。生徒数の増加に伴う新校舎建設のためや学校運営のため、同胞たちは生活が苦しい中でも寄付金を集めたほか、運動会やバザー、納涼祭りなどでさまざまな朝鮮料理を売ってその収益を充てた。 1968年に美濃部都知事が朝鮮大学校を各種学校として認可したのを機に、全国の地方自治体も各朝鮮学校に補助金を出すようになった。枝川でも教育会の役員や地域同胞たち、東京朝鮮学園の役員らが、東京都港湾局との交渉に臨んだと聞いている。 交渉の中で東京都は、日本の植民地支配の結果として、朝鮮人が日本に住むようになった歴史、植民地時代に母国語を奪われた朝鮮人が、自分の子女に対し朝鮮語による普通教育を行うことの意義を認め、利益追求の公営企業の理念よりも、朝鮮学校を維持することが重要であると認めた。 当時の経緯を知る学園理事だった孫南植さんは、「東京都は、無償無期限で土地を貸借するというのは形式上難しいので、一応民法で定められている20年間という期間を定めて賃料を無償とし、20年経った時点でも朝鮮学校が存続していれば当然、従前どおり使い続けることができる、と説明していた。学園側がその内容を文書で残すよう求めた結果、東京都が『期間満了の際になお学校用地として継続使用する必要がある場合は協議し善処する』という文言が記されるようになったのだ。同時に、学園側が未払いとなっていた2年分の賃料も支払わずに済むように要請し、東京都がこれに応じて、2年前にさかのぼって契約を締結するようになった」と話している。 このような歴史的経緯の中、私たちはこの地で半世紀以上教育事業を行ってきた。 そんな折、阪神淡路大震災が起こったのを機に枝川地域の整備問題が提起された。交渉の結果、東京都との間では住民の「土地払い下げ」を先に解決し、その後に校地の問題に取り組むことを決めた。 住民と東京都との「土地払い下げ」を仲介した「住宅管理委員会」は、校地には教育の場という公益性があるので、住民の「土地払い下げ」よりも安価で実現されなければならないという理解を深めながら交渉を進めていった。 ところが住民監査請求があった後、東京都は態度を一変させ、一方的に不法占有と決めつけ、損害賠償4億円を支払ったうえ、校舎の真中部分を壊して校地を明け渡すことを求める訴訟を提起した。 また、区議会で廃道措置をとると決定した後何十年も放置してきた江東区までもが、みずからの怠慢を棚に上げて「区道部分」に対する不法利得として約300万円支払うことを求める訴訟を提起した。 みずから朝鮮学校を各種学校として認可し、新校舎建設を認めた東京都自身が、「期間満了の際になお学校用地として継続使用する必要がある場合は協議し善処する」という約束を破り、一方的に校舎を壊して校地を返還しろ、要するに学校をつぶすと主張しているのは、あまりに不当で理解できない。 朝鮮学校に通い民族教育を受ける権利は、憲法および国際人権規約上保障されなければならず、朝鮮学校を制度的に保障することは日本政府や地方自治体の責務である。 民族の言葉と歴史を学び、故郷を知らない子どもたちがいかに民族のアイデンティティーを育むかという問題は、民族教育に携わった者だけでなく、自国を離れ他国に住む者が人間としての尊厳を守るうえで常に抱えてきたものだ。 在日朝鮮人だけでなく、増加するすべての外国人の子どもたちに対し、母国語による普通教育を受ける権利をどのように保障していくのかが今日本社会に問われている。(学校法人東京朝鮮学園・金順彦理事長) [朝鮮新報 2007.1.15] |