「言語道断の暴挙」、謝罪と賠償求める 総連東京都本部委員長の陳述内容 |
警察当局が昨年11月に敢行した強制捜索に対する国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論で総連東京都本部の朴昌吉委員長が発言した陳述内容を紹介する。
私は、1949年に東京で生まれてから、今日まで日本に住んできた在日朝鮮人2世であります。 私は、地元の公立小中学校から東京朝鮮中高級学校の高級部へ進み、1968年に同校を卒業後現在に至る39年間、朝鮮総連東京都本部及び管下支部で専従職員として勤務、2004年6月からは、現在の朝鮮総連東京都本部委員長の職にあります。 今回、何ら関連性も思い当たる節もない事由を持って、不当な強制捜査を受けた当事者として、一言述べさせていただきます。 まず、在日朝鮮人は日本帝国主義による植民地支配の結果、生じた人々であるということを申し述べておきます。 現在、日本にいる朝鮮人のほとんどは、日本帝国主義の過酷な植民地支配政策によって生きる道を失い故郷の山河を捨てて仕方なく来たか、あるいは徴用、徴兵などの強制連行によって日本へ連れてこられた人たちとその子孫であります。 私の父と母もそうでしたが、在日朝鮮人は、自らの希望によって日本へ来た人たちでもなく、自由移民でもないということを明確に述べておきたいと思います。 1945年8月の祖国解放後、多くの在日朝鮮人が帰国の道につきましたが、これに対し日本政府は本来果たすべき歴史的、道義的措置を何らとることはありませんでした。 また、故郷である南部朝鮮はアメリカの軍政下にあり、生活も安定しない状況で日本による植民地時代となんら変わることなく、多くの同胞たちが帰ることができませんでした。 米ソの占領、南北分断という状況下で、日本に在留せざるを得なかった人々とその子孫が今日の在日朝鮮人であるといえます。 解放後も変わらぬ日本当局の差別政策の中で、生活苦にあえいでいた在日朝鮮人たちは、共和国への帰国の道を選び、良心的日本国民と国際世論の支持を受けながら、1959年に帰国の権利を獲得、そして9万人が祖国へ帰ったのです。少なくない同胞の家族や親戚が、南北朝鮮と日本に別れて住むようになりました。 帰国した親や子供、兄弟たちとの再会は同胞たちの切実な願いでありましたが、国際法などが認める基本的人権の一つである祖国への往来の道は閉ざされたままでした。ある日本人は、自国へも自由に行けない在日朝鮮人を見て「60万の島囚」と呼びました。 朝鮮総連は、その実現のための運動を推し進め、1965年12月に2人の訪問が許可されたのを初めに、1973年頃から往来の自由が拡大し、帰国した肉親を容易に訪ねることが出来るようになったのです。 私にとっても祖国訪問は、1973年度に帰国した姉と甥っ子や叔母などの肉親との再会の機会であり、待ち遠しい生活の一部になっています。 朝鮮総連は、1955年5月25日に結成されました。 朝鮮総連は、日本の内政に干渉することなく、自らの民主主義的民族権利と祖国の自主的平和統一のために活動する民族団体であり、生活、権益擁護団体でもあります。 朝鮮総連の活動内容は多岐にわたりますが、その中でも特筆すべきものとして、日本と朝鮮に国交がないという状態で朝鮮への窓口としての役割を担っております。朝鮮総連では、朝鮮民主主義人民共和国政府の委任を受けて在日同胞の旅券発給業務を代行しており、各界日本国民の朝鮮訪問に関してもお手伝いをしております。まさしく、日本と朝鮮との国交がないなかで、大使館的な役割を果たしているといえます。 朝鮮総連の支部や本部の活動の大部分は、同胞の教育、就職、介護、老後などの問題と冠婚葬祭など同胞生活に密着したものといえます。 朝鮮に親族がいる同胞の朝鮮訪問の便宜を図ることは同胞のために活動する団体である東京都本部と各支部の重要な使命の一つであり当然の責務であるといえます。 今回の事件は、「薬事法違反」とされていますが、一般人が医者に薬を出して欲しいと言って医者が出してくれた薬を貰うことを不思議に思う人の方がむしろ稀なのではないでしょうか。このようなことで教唆が成立するならば、何でも教唆になってしまうのではないでしょうか。 現に、未だその医師も女性も身柄拘束は勿論、起訴はおろか書類送検さえされていないと聞きます。元々、犯罪性などなかったことを警察自らが承知だったのではないのでしょうか。 ましてや、その「教唆をした」とされる女性の渡航手続きを手伝ったというだけで、朝鮮総連施設や職員の自宅にまで家宅捜索を行い、同胞たちの名簿やフロッピーディスク等を多数押収したということは、まさに言語道断の暴挙というより他ありません。医師が犯したという「薬事法違反」という被疑事実とこれらに一体なんの関連性があると言うのでしょうか。 朝鮮総連東京都本部や渋谷・世田谷支部は、朝鮮民主主義人民共和国と日本の間に国交がない中、朝鮮民主主義人民共和国の領事館に代わる役割を果たしており、その業務の一環として渡航手続に携わってきたのは上記の通りであります。今回の同胞女性に限って手伝ったわけでも何でもありません。私は、今まで警察が容疑者の海外渡航の手続きをした大使館、領事館などを家宅捜索したという話を聞いたことがありません。 これらの不当で不法な捜索、押収によって日常的な活動が麻痺し、押収物が全て返還されていないため、我々の活動に支障を来しております。またこの間、無用の心配をかけた同胞はじめ関係者への説明に本来不要な労力を費やさなければなりませんでした。 何よりも、同胞たちが受けた衝撃、怒り、悲しみは計り知れず、警察に対する不信からもたらされる日常的な不安もまた計り知れません。 今回の家宅捜索がいかに政治的な意図を持った恣意的なものであったかは、薬事法事件なら本来、生活安全課が捜査に当たるはずであるにもかかわらず公安部外事2課が捜査に当たっていることからも明らかであります。 漆間警察庁長官は今回の捜査等について強制捜査の3日後にあった記者会見で「北朝鮮への圧力を担うのが警察。潜在的な事件を摘発し、実態を世間に訴える。北朝鮮関係者が起こしている事件は徹底的に捜査するよう全国警察に求めている。有害活動を抑える意味でも大事だ」と述べるなど、政治的意図を露わにした発言を繰り返していますが、これら一連の発言から朝鮮民主主義人民共和国への「圧力」という観点から捜査が強行されたことは明らかであります。 これらが、警察の「責務の遂行に当たって」の「不偏不党且つ公平中正」を謳った「警察法」第2条の規定を無視していることは言うまでもありません。 また、警察はマスコミに荒唐無稽な内容をリークし、朝鮮民主主義人民共和国の核実験等にこじつけ、反共和国感情を煽ることによって、不当で過剰な捜査を正当化しようと画策していることが報道からも見て取れます。 さらに敢えて付言すると、このマスコミを利用した捜査は発足以降人気が下降線にある安部政権の政権維持のためにも一役買っていることが窺えます。 一連の結果として、朝鮮民族への根強い差別意識が拡大再生産され、朝鮮学校に通う生徒たちへのいやがらせに象徴される民間次元における脅迫や差別行為が誘発されるといった事態になっているのです。 いま、このような不当捜査は国際的に批判の的に晒されています。朝鮮民主主義人民共和国は勿論、韓国においても本件に続く総連関係施設への一連の強制捜査に対し、日本の警察による「イジメ」だとして特集報道されました。また、今年3月の国連人権理事会においても日本の警察による不当捜査は提起され、NGO関係者はじめ多くの参加者に衝撃的な事実として受け止められています。 最後に、2005年10月から連続的に行われている一連の強制捜査は、その政治的意図を露骨に表しているものと言え、到底看過することができません。 既に述べたとおり、在日朝鮮人の歴史的背景からして、日本政府が在日朝鮮人と朝鮮総連を共和国との交渉を引き出すための「人質」、「カード」として利用することは断じてあってはならないことです。 加えて、2002年9月17日の日朝平壌宣言では、「在日朝鮮人の地位に関する問題について、国交正常化交渉において誠実に協議する…」とうたわれており、日本当局による一連の強制捜査は日朝平壌宣言の精神と文言にも反する行為といえます。 警察当局は自らの非を認め、我々がこうむった損害について謝罪し、同時に充分な賠償をなすべきでしょう。 裁判官に置かれましては、予断と偏見なく、公平かつ適切な判断をなさるよう切に望むものであります。 以上 [朝鮮新報 2007.6.5] |