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〈朝鮮大学校第49回卒業式〉 3つの家族の話

 朝鮮大学校第49回卒業式が10日、同校で行われた。遠く離れた大学に送る地方の父母の心境、親の期待に応え立派になって同胞社会に出て行こうと心に誓う卒業生たち。卒業までの歳月に親子の間に生まれた心温まる数々のドラマ。3つの家族にスポットを当てた。

卒業前にアボジを亡くした辛慶修さん 「同胞社会で一生懸命生きていく」

祝賀宴の席で卒業まで一生懸命育ててくれたオモニに感謝の気持ちを込めて手紙を読む辛さん

 理工学部を卒業した山口県出身の辛慶修さんは、信用組合で仕事をすることになった。

 「本当はウリハッキョで数学の先生を志望していたみたいだけど…」とオモニの申貞和さん(51)。教員を断念したのには理由があった。

 辛さんのアボジは昨年11月、ガンで亡くなった。アボジが病に倒れたのは辛さんが大学1年の時だった。朝大を卒業して下関初中で教員をしていた姉とオモニたち家族がアボジを支えてきた。アボジの長い闘病は、遠く離れて大学生活を送る辛さんには辛い時期だった。「アボジは病気を治して必ず卒業式に行くと言っていた」。

 昨年の一時期、山口に戻り付きっきりで看病したこともあった。しかし、卒業式まで残り4カ月を前にして壮絶な闘病生活に幕が下りた。アボジの夢は叶わなかった。

 辛さんはアボジのためにも、最後まで大学生活を一生懸命過ごして、同胞社会で立派に生きていくことをその時、心に強く誓った。

 「本当に優しいアボジでした。オモニ、これからも立派な朝鮮人として生きていきます。今まで育ててくれて本当にありがとう」

 オモニの申さんは、「アボジには卒業式まで何とか生きていてほしかった。アボジが亡くなった時は、学部の友だちみんなが息子の力になってくれた。やっぱり朝鮮学校に送ってよかったし、何の心配もなくやって来られた。日に日に成長する息子の姿をみて本当にうれしい。これからは自分の人生をしっかり歩いていってほしい」と涙を浮かべていた。(c)

16年間の寄宿舎生活送った孫優美さん 「学校が親代わり」

会場をわかせたオモニの金春子さん

 「16年間、優しい言葉はかけなかった。自分がつらくなるから。ウリハッキョがまさに、親代わりだった」

 文学歴史学部を卒業した孫優美さんは、北海道初中高から朝大までの16年間、親元を離れ寄宿舎で生活した。前述の言葉は、祝賀宴で16年間を振り返ったオモニ金春子さんの言。昨年の朝大創立50周年行事にも参加したという金さんは、「どこにも負けない」民族教育体系のすばらしさについて熱弁をふるった。

 また、娘の学校行事で北海道初中高を夫婦で訪れても車の中でじっと待ち、一歩もウリハッキョに足を踏み入れなかった民団所属の夫(86)のエピソードを披露。民族の心を育み成長する娘の姿を「朝鮮学校はすばらしい学校なんだ。いやーすごい」と民団事務所で自慢していたと、会場をわかせた。

 卒業後、地元北海道で教員として働く孫さんは、「アボジが16年間もウリハッキョに通わせてくれた。高齢のアボジとオモニを残してまた寄宿舎での生活になるけど、教員生活を満喫したい」と希望に満ちた表情で目を輝かせた。寄宿舎生活で鍛え上げた精神力が北の大地に根づき、民族の代はしっかりと受け継がれる。(東)

「一番に頼れる存在」になった朴文基さん 「大きく成長した息子」

神戸からかけつけたオモニと写真におさまる朴さん

 「4年前までは心配のタネだった。でも今じゃ物の見方、言葉遣い、妹への話し方まで変わった」−兵庫から、卒業式に出席した朴元秀さん(52)。息子の朴文基さん(文学歴史学部卒)が4年間のうちに大きく変わったと喜ぶ。

 オモニの柳光子さん(50)は、大学の朝青活動を活発にするようになった3年生の頃から、息子の「変わりよう」を実感していたという。柳さんもウリハッキョの教員経験者。その苦労、幅広い知識の必要性を知っているだけに、兵庫県下で教員として新たな一歩を踏み出す息子の旅立ちが心配な様子だった。

 当の文基さん、今では「一番に頼れる存在」だと、同窓生らの信頼を集めている。「人間を育てる大学」から巣立った185センチの「巨漢」は、家族、友人から大きな期待を寄せられている。(浩)

[朝鮮新報 2007.3.14]