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東、西海線で列車試験運行 軍事境界線越え北南往来

統一の希望乗せ列車走る

 北南鉄道連結区間の列車試験運行が17日、東海線と西海線(京義線)で行われた。東海線では北側・金剛山青年駅〜南側・猪津駅区間(25.5キロメートル)で、西海線では南側・汶山駅〜北側・開城駅区間(27.3キロメートル)で、それぞれ朝鮮戦争による線路の分断以来初となる歴史的な列車の運行が実現した。北側50人、南側100人の乗客を乗せた2つの列車はほぼ同時刻に軍事境界線を越えた。列車が北南を往来するのは、東海線が1950年以来57年ぶり、西海線は51年以来56年ぶり。同日、東西両線運行区間の始発駅である金剛山青年駅と汶山駅で記念行事が行われた。

東海線現場ルポ 釜山行夢見る北側鉄道員ら

猪津駅に到着した北側代表

 【高城発=文・李相英記者、写真・文光善記者】東海線側の列車試験運行記念行事が行われた金剛山青年駅(江原道高城郡)は、東海線の北側地域で最も軍事境界線近くに位置する旅客駅。線路はここから三日浦駅、分界駅である鑑湖駅(ともに貨物駅)を経て、南側の猪津駅に至る。

 当日朝、駅のホームにはすでに運行列車の姿があった。車両は、「内燃602」号ディーゼル機関車が牽引する5両編成。15日夜、平壌を出発し、翌16日午前中に到着した。機関車は金日成主席が生前、現地指導の際に見て回った記念の車両。北側鉄道関係者は、「今日のために特別に準備した。南行き『統一列車』の運行は主席の遺志」だと説明した。

 午前10時半、列車に搭乗するため陸路現地を訪れた南側代表団も参加しての記念行事が駅ホームで行われた。

 線路連結から試験運行に至る経過が報告されたあと、北南の代表らが祝賀演説を行った。

 北側の金容三鉄道相は、「北南間鉄道連結の重要なきっかけ」であり、「統一を願う人々に喜びを与え民族の和解と協力を促進させるだろう」と、今回の試験運行の意義について述べた。

 南の李庸燮・建設交通部長官も、「鉄道の連結は南北間の諸分野の交流を進めるだけでなく、地域全体の経済活性化にもつながる」とし、「これからも南北間鉄道事業をさらに発展させていこう」と訴えた。

 双方の乗客、関係者らは、列車をバックに記念撮影をし、互いに談笑するなど、出発前の一時をリラックスした雰囲気で過ごした。

 11時30分、列車は金剛山青年駅を出発した。ディーゼル機関の力強い動力音とともに、出発を知らせる汽笛が駅のホームに鳴り響いた。道内の学生、関係者らが見送る中、駅を離れた列車は緩やかなスピードで山間の線路を南へと走っていった。

 途中、鑑湖駅で税関および通行検査を受けた後、12時20分頃軍事境界線を通過した。通過時には乗客からいっせいに拍手がわき起こった。一瞬ではあったが、分断の障壁を突き破り、一つにつながった鉄道の上を走った感動を分かち合った。

 同刻30分過ぎ、猪津駅に到着した。時速20〜30kmの徐行運転。25.5キロメートルを1時間前後で走った。乗客らは昼食をとった後、列車は4時10分に金剛山青年駅に戻った。

 「参与政府評価フォーラム」執行委員長を務め、俳優としても活躍しているミョン・ゲナム氏は、「前日は興奮のあまり一睡もできなかった。本当に感無量だ。南と北が一つになって経済が発展すれば、世界に誇る強国になると確信した」と話した。

 一方、北側の鉄道マンも歴史的な日を迎え感慨深げだった。

 「軍事境界線を越える瞬間、目の前に列車をさえぎる障害は何もなかった」

 列車の運転を務めたロ・グンチャン機関士(49、平壌鉄道局平壌機関車隊所属)は、「歴史に残る出来事だと思う。猪津駅までの運行だったが、釜山まで行く気持ちで運転した」と、充実した表情を浮かべた。

 金剛山青年駅のオ・インチョル駅長(59)も、「列車の始発駅の駅長としてこの場に立ち会えたことを誇りに思う」。

 「6.15共同宣言発表以降、高城地域の移り変わりを現場で見てきただけに、南へ向けて走る統一列車を見送った時、万感の思いがこみ上げた」と、オ駅長。「正常運行時には自分も列車を運転してみたい」と、元機関士としての夢を語った。

西海線 歓喜にわく「統一人士」ら 「民族自主の軌道に沿って」

出発を控えた南側の列車(汶山駅)

 【開城発=金志永記者】西海線には、北南閣僚級会談の権浩雄・北側団長、李在禎・首席代表をはじめ、「南北関係の発展に寄与した人士ら」(李首席代表)が搭乗した。林東源、李鍾奭元統一部長官、詩人の高銀さん、白楽晴・6.15共同委員会常任代表、韓完相・大韓赤十字社総裁、朴容吉・故文益煥牧師夫人らである。車内では乗客らが歌う「われらの願いは統一」を歌うなど、歓喜であふれた。

 北南閣僚級会談の権浩雄・北側団長は、汶山駅で南の同胞らに「われわれは、民族自主、民族共助の軌道に沿って走らなければならず、ここから絶対に脱線したり、留まることがあってはならない」と強調した。

[朝鮮新報 2007.521]