top_rogo.gif (16396 bytes)

西海線試験運行列車搭乗記 目指す終着駅は祖国統一

 既報のように17日、北南鉄道連結区間の列車試験運行が東海線と西海線で同時に行われ、祝賀ムードに包まれた。本紙記者らは東西双方の現場に赴き取材した。東海線ルポ(本紙5月23日号既報)に続き、西海線試験運行列車塔乗記を紹介する。

 【開城発=金志永記者】祝砲が上がる中、南朝鮮の汶山駅構内に、前面に「南北鉄道連結区間試験運行」という標識が付けられた機関車が入ってきた。「みなさま、試験運行列車が入ってきます。わが民族が新たに前進します」。興奮気味に語る司会者の声が拡声器を通じてこだました。

「胸がつまる瞬間」

盛大に行われた汶山駅での記念行事

 記念行事には、南側代表100人とともに列車に搭乗する権浩雄内閣責任参事(北南閣僚級会談の北側団長)、キム・チョル鉄道省次官をはじめ50人の北側代表たちもいた。北側代表らは17日朝、バスに乗って開城を出発し陸路、汶山駅に来た。

 南側で生中継された汶山駅での記念行事は、華麗な演出で祝祭のムードを盛り上げていた。

 記念のあいさつをした李在禎統一部長官(北南閣僚級会談南側首席代表)は、「長いあいだ待たされただけに実に胸がいっぱいになり、感激的な瞬間だ」と、列車試験運行の歴史的意味を強調した。

 午前11時30分。北南代表150人を乗せた開城行列車が汶山駅を出発した。同時刻、北側の金剛山青年駅でも東海線列車が南側の猪津駅に向かった。

握手する北南閣僚級会談代表ら(右が北側団長)

 閣僚級会談の北側団長と南側首席代表は、3号車の座席に向かい合って座った。ほかの搭乗者のことが話題になり、李長官は権責任参事に「この間、南北関係の発展に貢献した方々が乗車した」と説明した。

 列車には2000年6月、金大中前大統領の平壌訪問に随行した林東源、李鍾奭の元統一部長官、詩人の高銀氏らが搭乗した。また、白楽晴・6.15南側委員会常任代表、韓完相大韓赤十字社総裁、故文益煥牧師の夫人である朴容吉女史の姿もあった。

 車窓の外では、南側の市民らが北側に向かう列車を歓送し、搭乗者らはそれに手を振って応えた。

 林東源元統一部長官は過去を回顧しながら語った。「私は南北基本合意書(1991年)の作成に関与したが、そこにも鉄道連結が言及されている。そのときから16年、列車試験運行の実現はあまりにも遅かった。しかし、今日という日は釜山、ソウルを出発した列車が元山、平壤、新義州を経てシベリアの線路を走るその日につながっている」

手を合わせる北南代表

試験運行列車に乗車した高銀氏(左)と朴容吉女史

 汶山−開城駅間の距離は17.3キロメートル。試験運行列車は時速20〜30キロでゆっくりと走った。

 11時55分、南側の最北にある都羅山駅で停車した列車は税関、通行検査を受けた。列車の出発に合わせて大型円筒の風船が弾け、2500余りの風船が空に舞った。列車は鉄条網を横断するレールに沿って非武装地帯に入った。

 3号車の搭乗者らは、ブルーの朝鮮半島が描かれた統一旗を振りながら、「われらの願いは統一」を合唱した。12時18分、軍事境界線通過。その瞬間、李首席代表は権団長の手をしっかりと握った。

 第1回閣僚級会談(00年7月)で北と南が鉄道連結に合意してから約7年ぶりに見られた光景だった。

 列車試験運行は一過性のイベントであり、象徴的な側面が強いが、それでも昨年実現できなかった行事が今年は実現した。背景には6者会談の進展など朝鮮半島情勢の新たな発展の局面がある。もし、分断民族が外部勢力の専横を排撃できないままレールをじっと見つめながら待ち焦がれるだけだったなら、列車を走らせることはできなかっただろう。

 軍事境界線を過ぎた列車は板門駅を経て、午後1時3分、開城駅に到着した。

 北側のキム・チョル鉄道省次官は、新しく建てられた開城駅舎で語った。

 「北南列車の正式開通、列車の正常運行のためには解決しなければならない問題がまだある。しかし、内外の反統一勢力がいくらあがいても、われらの前途をさえぎることはもうできない」

より大きな変革を

 この日、北側代表らの表情に浮かれた気配は見られなかった。その表情は朝鮮半島と東北アジアの構図が一新される遠くない未来を見つめているかのようだった。

 北側代表たちは、国土の分断が外部勢力によって強要されたものだという原点に立っている。核実験を断行して情勢の新たな局面を主動的に切り開いた北側の観点から見れば、一度の列車往来は祝祭というより、さらに大きな変革を誓う契機点であったのかもしれない。

 「みなさま、新世紀に入り、わが民族同士でやり遂げた事も多いが、われわれにはこれからすべきことがもっとある」

 ほぼ半世紀以上途絶えていた列車の運行が実現した日、権団長は、汶山駅での記念行事で南の同胞にこう呼びかけた。

 列車が到着した開城駅は南側の行事場のように華麗ではなかった。しかし、搭乗者を駅舎で迎えた開城市の少年団員は「祖国統一」と叫びながら歓迎の意志を示した。「祖国統一」の叫びは、民族史の転換期に列車の目指すべき終着駅を指していた。

−北南鉄道連結合意から試験運行実施までの日誌−

00年7月31日 第1回閣僚級会談で京義線(西海線)鉄道連結に合意 06年5月13日 第12回鉄道道路連結実務接触で列車試験運行を5月25日に行うことで合意
02年4月5日 林東源特使が平壌訪問、東海線鉄道道路連結に合意 06年5月24日 北側が列車試験運行行事の取り消しを通告
02年9月18日 東、西海線で同時に鉄道道路着工式 07年3月2日 第20回閣僚級会談で上半期内の列車試験運行に合意
03年6月14日 東、西海線で同時に鉄道レール連結行事 07年5月11日 第5回将官級軍事会談で列車試験運行のための軍事的保障措置を合意
04年4月10日 東、西海線で同時に鉄道レール連結行事 07年5月17日 東、西海線で同時に列車試験運行実施
05年7月12日 経済協力推進委員会10回会議で列車試験運行と道路開通式を同年10月に行うことで合意    

列車正常運行時には大きな経済効果 開城工業地区開発、観光事業を促進

[朝鮮新報 2007.5.24]