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〈朝鮮・水害被災地ルポ-下-〉 江原道伊川郡

「命だけは助かった」 洪水で数十の村消える

 【平壌発=文・金志永、姜イルク、写真・文光善記者】江原道の内陸地域に位置する伊川郡では、8月8日から10日までの間に840ミリの記録的豪雨に見舞われた。現地の住民はそのときの状況について「大きな水柱が立っていたようだった」と話す。他の多くの地域での洪水被害状況に関しては新聞や放送を通じて伝えられたが、伊川郡の惨状はしばらくの間報道されなかった。被害発生から数日間、混乱を収拾するのに追われ平壌へ被害状況を報告する暇さえなかったからだという。

崩れた貯水池

豪雨で崩れた田畑

 伊川郡邑中心部から5キロほど離れたところに1933年に建てられた新堂貯水池がある。堤防は全長274メートル、高さ15メートルで、貯水能力は174万m3だ。堤防に続く平地一帯で、数百人の住民が川岸整理作業を行っていた。機械作業ではなく、手作業で石や岩などを運んで積み、流水を防いでいた。

 伊川郡人民委員会のシン・ヒョンチャン委員長(52)は「もともとここに水は流れていなかった。堤防が崩れて『川』ができた」と説明する。

 「川」幅は10メートルをはるかに超え、比較的速い流れで下っていた。

 住民が作業している平地では、大小の岩や石が転がっている。ところどころ、水稲と思われる「枯れ草」が目につた。

 洪水で新堂貯水池の堤防が崩れて住民が大きな被害を受けた。 

 シン委員長の説明によると、もともとここには水田とトウモロコシ畑、養魚場があった。住所は「新堂里4班」。

伊川郡人民委員会のシン・ヒョンチャン委員長

 「水害前には60棟の住宅が立ち並んでいた」

 今はその面影さえない。存在したという住宅の残骸も探すことはできず、「川」辺の高台にわずか7棟の住宅だけが残った。一つの村がそっくり消え去ったのだ。

 新堂貯水池は住民の生活用水を提供し、郡内の500ヘクタールの水田に水を送っていた。ところが集中豪雨によって堤防の端部分の70メートル区間が崩れた。村を飲みこんだ洪水は邑中心部まで流れ込み、道路さえも「川」と化した。邑地区の2843世帯の住宅と102棟の機関および企業所が高さ平均2.5メートルの水に浸った。

 貯水池周辺では住民らが「川」水をせき止めて水田へ流れる水路を再形成するために土と石を積み上げる作業を行っていた。

 「今は水稲がもっとも水を要求する時期だ。水を与えなければ、今年の収穫はまったく期待できない」

 シン委員長は住民との共同作業の意義について強調するが、水路形成は当面の緊急措置にすぎない。

人命被害180人

復旧作業に立ち上がる住民

 「跡形もなく消え去った村はここだけではない。伊川郡では数十カ所にもなる」

 シン委員長の説明は続く。

 「山が多い伊川郡の谷間という谷間はすべて消え、大きな土砂崩れが起きたところだけでも26カ所になる。伊川郡で180人の死亡が確認され、18人が行方不明だ」

 伊川郡に雨がもっとも集中的に降ったのは9日の明け方3時から5時の間。貯水池の堤防は4時頃に決壊した。

 郡人民委員会では8日晩から放送車を走らせ住民に避難勧告を行った。新堂里4班の被害規模は大きかったが、放送車による避難勧告を行ったため同村の死者は2人だけだった。しかし放送車が入れない山奥の村では、明け方のまだ暗いうちに洪水に襲われたことで多くの人命被害が出た。

 伊川郡では180人が犠牲になったが、この数字も水害直後に平壌へは伝えられなかった。通信手段が遮断されたためだ。それに180人という人命被害状況も伊川郡人民委員会で11日現在、1次的に把握したものだ。その後、被害規模の集計は行われなかった。現場では数字の集計よりも、目の前の状況を解決して住民の生活を安定させることに集中しなければならなかったからだ。

 内閣に設けられた洪水被害防止対策委員会によると、伊川郡は「江原道で2番目に被害が大きかったと考えられる地域」だ。

 伊川郡が受けた甚大な被害も、全国的範囲からみれば一部にすぎない。

 全国的な人的、物的被害は想像を絶するものだった。

「自主更生の精神で」

 邑中心部から貯水池の方向に1キロほど進んだ川辺では、被災者が赤十字会から供給されたテントで生活していた。「伊川邑25班」。ここも住宅が3棟しか残らなかった。

 夫、姑とともに生活するホ・クムヒさん(26)は、家を失った翌日からテント生活をしながら復旧作業に出ているという。「今は水道水が出なくて不便だが、食糧と生活必需品は保障されている」。

 現在、郡人民委員会が優先的に推進しているのは道路の復旧と水道、電気、通信網などライフラインの復旧回復だ。

 しかし、建設資材が不足している。

 伊川郡が受けた物的被害は甚大だ。

 郡人民委員会が11日までデータとして集計したところによると、土砂崩れや洪水によって住宅500棟(1200世帯)が全壊、520棟(1300世帯)が半壊、600棟(1900世帯)が浸水した。公共建物は186棟が全壊、143棟が半壊した。橋は9カ所(計8700b区間)、道路は66カ所(計5万3900メートル区間)が破壊され、鉄道も590メートルにおよぶ区間の路盤が流失した。農耕地は940.3ヘクタールが冠水、511.2ヘクタールが埋没、418.9ヘクタールが流失し、水路の多くの区間が破壊された。

 発電所も損傷を受け、自動車、トラクター、変圧器など多くの機材が失われた。

 「新堂里4班」だった場所も住宅を建設し貯水池を復旧しなければならない。貯水池を復旧させてこそ、今後の水問題も解決でき、農業も営むことができる。しかし今のところ、明確な計画も立てられていない。堰を積む粘土と石を運ぶためにも、建設資材を確保して道路から復旧しなければならない。

 シン委員長は13日、平壌へ向かった。被害状況を報告して復旧のための資材問題を相談するためだ。

 平壌行きの旅は、今回の洪水で被害を受けたのが江原道一帯だけではないという現実をシン委員長にあらためて突きつけるものになった。

 「洪水は全国を襲った。各被災地が国に援助を求めていては問題が解決しない。今はまず、自力更生の精神を発揮すべきだ」 (シン委員長)

[朝鮮新報 2007.9.7]