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大会に参加して 金優綺

 このたび、「日本軍『慰安婦』問題解決のための世界大会」に朝鮮人強制連行真相調査団の代表として参加した。

日本の姿勢に怒り

 3日、南朝鮮から来た生存者のハルモニたち−リ・ヨンス、リ・マクタル(写真)、シム・ダリョンさんと、世界各地から集まった活動家たちが日本領事館の前でデモを行うなど、現地は開幕前から盛り上がりを見せていた。

 翌日、大会はリ・マクタルさんの証言で幕を開けた。聴衆がじっと聞き入るなか、彼女は静かに、淡々と語り始めた。

 「17歳のときに日本人によって台湾に連行され、複数の慰安所で「慰安婦」として過ごしました」

 筆者にとって、生存者の証言を聞く初めての機会だった。

 「あまりにもつらい生活でした」

 「日本が謝罪と賠償をするのは当たり前のことじゃありませんか」

 落ち着いた様子で、しかしながら熱のこもった口調でまっすぐ前を見つめながら話すリさん。高齢をおしてはるばる米国を訪れたハルモニの胸中を思わずにはいられなかった。

 その後、各国NGOの代表による活動報告や、今後の運動に関する提案などが続いた。

 5日には各国の専門家による、学術的な視点から見た日本軍「慰安婦」問題のパネルディスカッションが行われた。6日には、法律家たちが法的な視点から「慰安婦」問題に関する見解を述べ、問題解決のための提起を行った。

 大会に参加しながら、運動がアジアだけでなく、世界各地で行われているということを実感できた。日本、南朝鮮、台湾、フィリピンなど生存者がいる国ではもちろん、被害者がいないドイツでも日本政府に公式謝罪を求める決議案をEU議会に提出しようとする動きがあり、英国ではアムネスティ・インターナショナルという著名なNGOが中心となっている。11月には欧州各国の団体が集まり、運動を地域全体でより強く推し進めていくための会議を計画しているという。また、カナダやオーストラリア、オランダでも女性を中心に地道な草の根運動を続けているということだった。

 参加者たちは、「慰安婦」問題に関して日本政府に「明確かつ曖昧でない形で歴史的責任を正式に認め、公式に謝罪する」ことを要求した「121決議案」が7月末に米下院本会議で通過したのに続き、他の国でも同様の決議案を議会で採択させなければならないと、異口同音に話していた。

 1991年、南朝鮮の金学順さんが初めて日本軍性奴隷制の被害者として名乗り出たことをきっかけに、「慰安婦」問題の解決を求める声が世界規模で高まった。「121決議案」は、90年代初頭から地道に続けられてきた問題解決のための運動に大きな希望を与えたといえるだろう。

 今回の決議案通過に多大な寄与をしたワシントン挺身隊問題協議会の徐玉子会長は、決議案通過の要因について、▼これまでアジアだけの問題として認識されてきた日本軍「慰安婦」問題を米国内で世界的な人権問題として認識させたこと、▼世界の市民団体が地道な草の根運動を続けてきたこと、▼安倍前首相が軍による強制性を否定したり、日本の政治家や学者、ジャーナリストたちが米紙ワシントン・ポストに「強制性はなかった、慰安婦は公娼だった」という内容の広告を出したりしたことで世論の関心が「慰安婦」問題に集中し、日本の姿勢に怒りを感じた人びとが増えた結果、運動が盛り上がったことにあると話していた。

 最終日の夕方には、参加者全員が出席する晩さん会が開かれた。「決議案」の通過を主導したマイク・ホンダ下院議員が演説し、各国で日本政府に謝罪を要求する決議案を通過させる運動を広めていこうと呼びかけた。ホンダ議員の言葉に皆が賛同し、大会は3日間の幕を下ろした。

「ハルモニ」との時間

 翌日、南朝鮮の参加者たちから夕食に誘われた。そこで初めて被害者のリ・マクタルさんと直接話す機会を得た。リさんは会話の最中、筆者の手をずっと握ってくれていた。ハルモニの小さくやわらかい手はとても温かかった。

 「日本から来ました」と言うと、「また必ず再会しましょう。ね?」と言いながら筆者の手をいっそう強く握った。別れる際には優しく抱きしめてくれた。

 今回の訪米は筆者にとって、「慰安婦」問題解決のための運動に今後も参与していく決意をいっそう強くする貴重な経験になった。リさんとまた会える日はいつだろうか。筆者の手を温かく包み、抱きしめてくれたハルモニはいつまで生きていらっしゃるだろうか。一日も早くハルモニたちが正義を取り戻せる日が来るよう、努力していかなければならない。(朝大研究院生)

[朝鮮新報 2007.10.19]