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祖国で本場の舞踊を 6年目迎えた通信教育制度 今年3人が卒業

 【平壌発=呉陽希記者】日本で朝鮮舞踊や民族楽器など朝鮮の芸術を志す一般の在日同胞たちに向けて2002年から始まった祖国での通信教育制度。受講生らはカリキュラム化された教育課程に沿って、金元均名称平壌音楽大学と平壌音楽舞踊学院で専門教育を受ける。制度施行6年目を迎えた今年、3人の在日同胞が専門教育の全課程を履修し最優等の成績で卒業した。

在日芸術家育てる

李静花さん

 今年、通信教育を受け卒業したのは、文芸同大阪支部舞踊部副部長の宋英愛さん(33、舞踊学部按舞科)、文芸同東京支部舞踊部の李静花さん(27)と文芸同東海支部舞踊部の安清美さん(26、ともに舞踊学部朝鮮舞踊科)の3人。宋さんは通信教育制度の2期生として03年から、李さんと安さんは4期生として05年から受講を開始した。同制度の卒業生はこれで8人。現在、金剛山歌劇団をはじめ日本各地で現役の舞踊手や指導者として活動を繰り広げている。

 在日同胞を対象にした音楽、舞踊教育は1984年に短期講習の形で始まった。1990年に正規の教育システムに移行。高級部生徒を対象にした専門部と学部で、声楽、器楽、舞踊などに対する教育が行われた。

 2002年に始まった一般同胞向けのコースは、年に2度、春と秋に1カ月ずつ行われる。社会政治科目を除いては国内の学生と同様の理論、実技授業を受け進級試験を受ける。全課程を終えると卒業証と成績表が授与される。

基礎から徹底的に

安清美さん

 李さんと安さんは、「祖国で本場の舞踊を習いたかった」と受講の動機を語った。ともに朝鮮学校初級部の頃に学校の部活を通じて朝鮮舞踊を始めた。高級部を卒業してからも、地元の文芸同や個人の舞踊研究所で踊り続けてきた。このように日本各地には学校を卒業したあとも朝鮮舞踊を続ける人が少なくないが、自身の技術向上を追求する彼女らが理論と実技を伴った専門的な指導を受ける機会は多くない。

 同制度の存在を知り、「一流の講師陣から体系的に学べるチャンス」だと飛び込んだ。舞踊科は3年間の履修課程を通じて、専攻である朝鮮舞踊をはじめバレエ、チャンダン(朝鮮の伝統的リズム)、舞踊史、芸術論、作品分析などを学ぶ。

 「朝鮮舞踊の基盤となる呼吸から徹底的に指導を受けた。それまではポーズや形にとらわれて『踊っているつもり』だった」(安さん)という。

 祖国で充実した日々を送る反面、日本では練習のかたわらアルバイトや朝鮮舞踊教室で指導するなどして、祖国訪問の資金を貯める生活を送った。とくに「万景峰92」号の運航が中断されてからは、さらに経済的負担が大きくなったという。

 「それでも、祖国での受講をやめようと思ったことは一度もなかった」(李さん)

 3年間、2人を担任した平壌音楽舞踊学院のチャン・ミョンスン教員(41)は、「彼女たちの日常的な努力と探究心に感嘆した。技術面も学校側が要求するレベルに達した」と指摘しながら、今後も日本で朝鮮舞踊の発展に寄与してほしいと語った。

 李さんは今後も踊り手として、安さんは指導活動に力を注いでいきたいという。

 「今まではただ朝鮮舞踊が好きで一生懸命続けてきただけ。だけど今は、祖国があるから自分たちが日本で朝鮮人として暮らし、舞踊を続けることができるということを心の底から実感している」(安さん)。

「慰安婦」題材に卒業作品 宋英愛さん

卒業作品「咲ききれなかった花」を披露する宋英愛さん

 宋さんは5年間の集大成となる卒業試験に、日本軍「慰安婦」問題を題材とした作品「咲ききれなかった花」を提出した。

 宋さんを指導した朝鮮舞踊界の大家である金洛栄氏(74、同学院按舞科按舞理論講座長)は、朝鮮の一流按舞家でさえ「芸術作品」として扱うことを考えられなかったテーマなだけに、最初は動揺を隠せなかったという。

 これまで大阪朝高をはじめ朝鮮学校で教員や舞踊講師を務めた宋さんは、同学院で学ぶ前までに、在日朝鮮学生芸術競演大会で金賞を受賞した作品など30編ほどを創作した。

 その後、専門知識を習得し「自己流」から抜け出した作品を作りたいと同制度の門戸を叩いた。

 「理論が正確でなければ作品で言いたいことが人々の心に届かない」と、必死に専門知識の習得に励んだ。

 そして、作品を通じて社会問題や政治的テーマを見る人に投げかけるという「按舞家」としての今後の方向性を見出した。

 「舞踊の創作も言葉や文章を通じた表現活動と同じ」

 創作は「自己表現手段」だという宋さんにとって、朝鮮をはじめ世界の多くの女性が被害を受けた日本軍「慰安婦」問題を作品化することは、「当然のこと」だった。綿密な資料調査を行い、試験を控えた10月末には「慰安婦」被害者との対面も果たした。

 一方、卒業試験のもう一つの作品「トゴの舞」(トゴ=朝鮮の伝統打楽器)には、学院の生徒を出演させた。舞台では宋さん自身が主役を務めた。

 金洛栄氏は、「このような作品が朝鮮舞踊として世に出たこと自体、非常に意義が大きい。専門家の評価も高い。国内はもちろん、被害を受けたアジア諸国や加害当事国の日本でこの作品を上演できれば」と話した。

 宋さんは今後も文芸同大阪で活動を行っていく。来年2月、同制度の卒業生を中心に祖国で民族芸術を学んだ若きアーティストたちによるアンサンブル公演の総演出を手がける予定だ。

 「これからがまた新たなスタート。私たちが訴えるべきこと、私たちにしか訴えられないことがある。在日同胞社会や祖国に還元できる創作活動をしていきたい」

[朝鮮新報 2007.11.16]