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朝鮮の論調 2007年

 朝鮮半島情勢をめぐってさまざまな動きがみられた2007年。朝米ベルリン会談(1月16〜18日)を皮切りに、第5回6者会談第3ラウンド(2月8〜13日、「2.13合意」)、第6回6者会談(3月19〜22日)、6者会談団長会議(7月18〜20日)、第6回6者会談第2ラウンド(9月27〜30日、「10.3共同文書」)が行われた。また、10月2〜4日には北南首脳が対面・会談し「北南関係の発展と平和・繁栄のための宣言」(10.4宣言)が調印された。ベトナムの最高指導者が半世紀ぶりに訪朝するなど外交も活発に展開された。ヒル次官補が二度にわたって訪朝、金正日総書記あてのブッシュ大統領の親書が伝達された。

−対米 節目毎に朝米直接対話を強調

 月ごとの配信数に多くの変動はみられず、平均15〜20回の間を往復した。

 内容は軍事関連が約7割を占めた。上半期はステルス配備問題や合同軍事演習非難が多く、下半期は主に核問題へ焦点を当てた。

 終始一貫して主張していたのは、「戦争と平和、対立と対話は両立しない」というものだった。

万寿台議事堂を訪れたヒル次官補を迎える朴宜春外相(4日) [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 最も重要なものとしては、1月19日に配信された「朝米ベルリン会談結果に関する言及」(外務省代弁人)が挙げられる。

 「会談は肯定的な雰囲気の中で真摯に行われ、一定の合意がなされた」と報じ、「朝米の直接対話」を強調した。

 翌月には6者会談が再開された。「2.13合意」に至り、朝鮮半島非核化にむけての初期段階措置がスタートした。

 しかしその後、BDA問題をめぐって頓挫。解決方途をめぐって米国が右往左往する間、朝鮮は「2.13合意を履行するわれわれの意志に変わりはなく、(BDA資金の)制裁解除が現実に証明されれば、われわれも行動する」と主張し続けた。

 ヒル次官補の訪朝(6月21〜22日)直後、朝鮮側はBDA問題の決着を宣言するが、このことを報じた配信の中に「…朝米双方は、1月のベルリンにおいて凍結資金問題を解決することで合意したとおりに…」とのくだりがあった。

 6者会談ではなく、ベルリン会談に前提を置いていた事実について指摘しておきたい。

 12月に再訪朝したヒル次官補が持参した、金正日総書記あてのブッシュ大統領の親書伝達を報じた際は、「ジョージ・W・ブッシュ米合衆国大統領」との呼称を用いた。

 上半期にもたついた朝米関係は、下半期にきて急展した。朝米間のロードマップがベルリン会談に起因していることは確かであろう。詳細は未公表だが、思い起こせば帰途、モスクワでテレビに映し出された「満足げな金次官の姿」は示唆に富むものだった。

−対日 政権批判は対話停滞の証左か

2007年下半期に配信された主な論調、報道
7月6日 2.13合意履行問題に言及(外務省代弁人、朝鮮中央通信社記者の質問への返答)
7月10日 安倍一味の無分別な総連弾圧策動は高い代価を支払うことになるだろう(朝鮮中央通信社詳報)
7月15日 日本の総連弾圧を国連総会に上程、公式文書配布申請−事務総長に手紙
   15日 2.13合意の完全履行は米日の敵視政策解消にかかっている−寧辺核施設稼動中止公式発表(外務省代弁人、朝鮮中央通信社記者の質問への返答)
7月19日 安倍一味の「拉致」騒動は自滅だけを招くであろう(外務省備忘録)
8月8日 盧武鉉大統領の平壌訪問に関する北南合意書
     21日 軍事的敵対行為には対話の立場とは別途に強力な対応策(外務省代弁人、朝鮮中央通信社記者の質問への返答)
9月3日 朝米、年内核施設無力化、「テロ支援国家リスト」削除で合意(外務省代弁人、朝鮮中央通信社記者の質問への返答)
     26日 権力野心家の末路−安倍辞任は特種政治漫画(労働新聞)
10月2日 金正日総書記、盧武鉉大統領を歓迎
        3日 金正日総書記、盧武鉉大統領と会談
        4日 「北南関係の発展と平和・繁栄のための宣言」発表
      24日 前任者の轍を踏む幼稚な行為−日本の対朝鮮制裁延長(労働新聞)
11月8日 朝鮮の貿易船救出、米国に謝意
      14日 北南総理会談、第1回会議
      27日 第2回北南人民武力部長級会談
12月1日 盧武鉉大統領、金養建部長と面会
       6日 米国大統領から新書

 目立ったのが配信ペースと分量の多さ。ピークは3月と7月。とくに7月は一日平均1.5回のペースだった。

 特徴としては、「安倍一味」「安倍勢力」といった名指し批判が挙げられる。また、「倭国」「島国」といった表記が4月末まで続いた(「倭国」表記が登場したのは06年12月18日。07年5月以降は「日本」「日本当局」に表記が戻る)。

 1〜8月までは、「慰安婦」問題、総連弾圧、過去清算、軍事大国化策動などを糾弾する包括的な安倍政権批判がほとんどを占めた。全体的に語調が激しく、「批判」というよりは「詰る」といった方が適切だろう。

 また、外務省代弁人名義の配信も目立った。今年発表された二度の外務省代弁人声明(2月19、7月1日)はいずれも総連弾圧を批判するものであり、5月10日には「拉致問題」を悪用する安倍政権を非難した外務省備忘録も発表された。しかし、福田新政権発足(9月)後は沈静化する。安倍政権時に顕著だった極端な政権批判もほとんどない。「出方を見守っている」様子が窺えた。

 傾向としては、日本執権勢力に対する批判が激しいときは水面下での朝・日接触が全く行われておらず、何らかの接触があるうちはあまり叩かない、という構図が見受けられる。

−対南 ハンナラ党批判が大半占める

 1〜3月までは大半がハンナラ党批判が占めた。

 しかし、4月以降は配信自体が激減し、平均しても2桁に満たない。総理会談、軍事会談、赤十字会談など実務的な報道が多数を占め、特定の個人や団体を非難する内容は極端に減った。

 首脳対面・会談開催決定に関する北南合意書が発表されたのは8月8日(のちに延期発表)。「北南関係をより高い段階に拡大発展させ、朝鮮半島の平和と民族共同の繁栄、祖国統一の新しい局面を打開するうえで重大な意義を持つだろう」と報じた。合意書にサインした北側の人物は統一戦線部の金養建部長だった。

 政権末期の盧武鉉大統領訪北は、さまざまな憶測を呼んだ。一部では、6者会談に合わせたのではとの見方もされたが、水害がなければ当初の予定通りに開催されていただけに、根拠が薄い。

 むしろ注目すべきは、「大統領選イヤー」に開催されたという事実ではないだろうか。

 首脳対面・会談終了後、10.4宣言の具体化にむけて総理会談と国防相会談が相次いで迅速に行われた。両会談を受けて、実務協議もひんぱんに進んでいる。北南関係は「わが民族同士」の精神の下、もはや後戻りはできないだろう。

 2007年は印象的な出来事が多かった。

 朝米関係を軸に6者プロセスは進展し、北南首脳対面・会談も行われた。また、総連21全大会が開催され、同胞社会は新たな段階へと進んだ。

 2008年、朝鮮は節目の建国60周年を迎える。南では新政権が発足し、ロシアと米国はそれぞれ大統領選を控える。

 展望はどうだろう。

 6者会談の再開はいつなのか、米国要人の訪朝はいつなのか、朝・日関係に進展はあるのか…と興味は尽きないが、融和、そして関係改善へと向かう流れが加速することを願いたい。

 われわれは今、激動の渦の中にいる。世界史に特筆されるかもしれない歴史の真っ只中にいる。今はその実感が沸かなくても、五十年、百年と時が移れば「2008年」は歴史のテストで常連になっているかもしれない。

 朝米関係の正常化、そして祖国統一がにわかに現実味を帯びてきた。来たるべきその日を見ることなく逝かれた先達たちに想いを馳せ、今を生きる者として、与えられた使命と責務を前に決意を新たにする。(まとめ=韓昌健記者)

[朝鮮新報 2007.12.27]