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〈第29回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクールから〉 初級部3年生部門

 本紙主催第29回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクール1等入選作品の日本語訳(本紙編集部訳出)を、4編紹介する。

「うちのチェサの日」

 うちはチェサ(祭祀)の日がとても多い。

 ハラボジ(おじいさん)の部屋には、亡くなったひいおじいさんとひいおばあさんを含めて5人の先祖の写真がならんで飾られています。

 写真がないひいおじいさんのオモニ(お母さん)のチェサまで入れると6回、お正月と旧盆までを合わせると8回もします。

 ハラボジは新しいカレンダーが手に入ると、まずチェサの日を書き込みます。6人のハラボジ、ハルモニ(おばあさん)のチェサの日を忘れないようにするためです。

 チェサの日にはチャグンハラボジ(おじいさんの弟)とハルモニ、おじさんとおばさん、いとこたちがすべて集まるので本当に楽しいです。

 9月25日は今年に入って6回目のチェサの日でした。

 私が学校から帰ってくると、オンマ(おかあさん)たちはチェサの準備で忙しそうにしていました。

 チェサの日には料理ごとに責任者が決まっています。

 串焼(牛や豚を串に刺したもの)責任者はチャグンハルモニ(おじいさんの弟のお嫁さん)、チヂミ責任者はおばさん、私のオンマはチャプチェ責任者です。私は学校でウリマル(母国語)責任者をしています。本当に責任者が多いのです。

 私はオンマに「どうしてこんなにたくさん食べ物を作るの? 死んだ人は食べられないのに…」と聞いてみました。

 するとオンマは、「先祖を祭って感謝する気持ちを常に忘れてはいけないのよ。それでチェサの日にはまごころを込めて食べ物をお供えするの」と教えてくれました。

 (そうか。それで目上の人にはあいさつをちゃんとして、礼節を守らなければならないと常に言ってるのね)

 オンマの話を聞いて2階に上がってみると、弟、妹たちはドッジボールをしたり、鬼ごっこをしながら遊んでいました。

 おかずのいいにおいが2階にただよってくると、そこにはオンマの「静かにしなさい!」という怒鳴り声もいっしょについてきました。

 夕方になると食卓には豪華な料理がならびます。なかでもチェサのときだけ出る故郷・済州島の魚−オクトミ(鯛の一種)は本当においしいと思います。

 初めにハラボジがお線香をあげてクンジョル(大きなお辞儀)を2回、パンジョル(半分のお辞儀)を1回します。

 次はアッパ(おとうさん)、おじさんたちが線香をあげたあと、うちの兄弟がおじぎをします。

 ですが、兄弟の中で最初にお線香をあげるのは一番下の弟である5歳のテヤンです。

 なぜかというと、テヤンは年は幼くてもわが家の長男だからです。私たちは結婚をすれば家を出てしまうけれど、テヤンは「呉」家を守ります。それでテヤンがいつかハラボジのようにうちのチェサの責任者になります。そのとき私は串焼責任者かな?

 私たちがこうしておじぎをすませたあとにはうれしいことが待っています!

 チャグンハラボジが私たちをお菓子屋さんに連れて行ってくれます。私たちにとってはこのときがチェサの日の中で一番うれしい時間です。チャグンハラボジたちが幼かったときは、卓上に上がったバナナを食べるときが一番うれしかったそうです。

 うちに親せきがこんなにたくさん集まる日はチェサの日しかありません。

 私たちはおもしろく遊び、アッパたちは楽しくお酒を飲みながら話をするので、先祖たちもうれしそうに笑っていらっしゃると思います。

 (ご先祖さま、私もハラボジのようにハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニによく仕えます。そして弟、妹たちと仲良くしてアッパ、オンマがよろこんでくれるようにします!)

(呉未玲、東京第4初中)

[朝鮮新報 2007.1.19]