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〈朝鮮と日本の詩人-23-〉 小野十三郎

 日本現代詩において短歌的叙情を否定し、批評としてのリズムの可能性を主張した詩人として知られる小野十三郎は、大阪に定住して詩集「大阪」(39年)と「風景詩抄」(43年)をもって硬質な独自の詩風を開拓した。彼は戦争中に、徴用工として大阪の造船所で苦役を強いられていた朝鮮人と交わり「自然と非常な親愛感を持つに至った」。

 十三郎が朝鮮に関する詩を意識的に書いたのは右のような事情による。75年に立風書房から出た800ページ以上の「定本小野十三郎全詩集」には26年から74年にかけて書かれたほとんどすべての詩が収められている。そのなかに私の選別では、朝鮮関係のものが35篇ある。

 とくにすぐれているのは「惜別」と題する作品である。これは、12篇を一つのテーマでまとめた連作詩であり、日本人の朝鮮にかかわるそのかかわり方の精神的構造を凝縮している。その35篇のうち、朝鮮戦争を題材にした作品が15篇もある。浜田知章にも同じような詩があるが、この2人は、私の知るかぎりでは、朝鮮戦争におけるアメリカ帝国主義の侵略的本質を容赦なく告発した詩人として双璧をなしている。

 つぎの詩はやや難解であるが、平壌被爆の悲惨をヴィヴィッドにえぐりだしている。

 ひらめき/旋回し 反転し/落下し また直上し/天空を従横十文字に/飛び廻っている一コの眼球が/ぴゅっと地上寸尺を擦過して/弾ねあがろうとしたとき/猛烈な速力で風をきっている宇宙の大風車に/矢になって突きささった。/天地が一ゆれして/静止したところ/その真正面/空間に聳え立ったのは/爆破された大同江の鉄橋だ。/曲がりくねったアーチ。/たれ下った鉄骨。/巨大な蟻塚のようなものが/高く真赤に/東洋の夕陽に映え/眼をこらせば/その上を二列になって/おびただしい難民の群れが動くともなく移動している。

 無辺の天に/弾ねかえらんとして/眼はその場に釘づけになった(「橋」全文)(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.1.25]