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〈第29回在日朝鮮学生「コッソンイ」作文コンクールから〉 中級部3年生散文部門

「感謝の気持ち」

 「ピピーッ」

 試合終了を知らせるホイッスルの音がぼくの胸を痛く突いた。

 終わった、ぼくらの夏が終わった…。

 全国大会2試合目が終わった瞬間、堪えこらえてきた涙が流れ出た。また16強の壁を越えられなかった悔しさ、試合で負けたという現実を信じたくない気持ち…。

 その時だった。ベンチにも入れなかった友だちが、涙まみれになった顔でぼくに駆け寄って来た。ぼくの口からは知れずと「ごめん」という言葉が飛び出した。

 しかし、彼らは「大丈夫! 今日は最高の試合だった」とぼくを慰めてくれながら、僕以上に大きな声でワンワン泣き始めたのだ。

 (なぜ?) ぼくは驚かずにはいられなかった。

 事実、全国大会に出場するのはぼくら東中生たちの夢であり、願いであった。

 ましてや3年生はこの日のために早朝練習、サークル練習、延長練習、東京と岡山への遠征、強化合宿などをしながら、この3年間の最大の目標の一つを全国大会出場に置いていた。

 しかし、残念ながら試合に出られるのは11人、ベンチにも7人しか入れない。残りの者はすべて、競技場の外でメガホンを持って声援を送ることしかできないのだ。

 しかし、彼らは試合に出られないからといって、他人行儀に接するのではなく、いつも試合に出る友だちとまったく同じ気持ちで、水も入れてくれ、応援も1、2年生よりもっと大きな声でしてくれた。そればかりでなく、全国大会最終日に勝利を勝ち取れなかったぼくらをとがめるどころか、ぼくたちとまったく同じ気持ちで、いや、それ以上に、16強の壁を越えられなかった悔し涙を流して、ぼくたちよりもっと大きな声で自分のことのように泣いているのだ。

 ぼくは彼らの姿にとても大きな感動を受けた。僕がもし彼らだったら、こんなにも潔く、飾らず、声援を送ることができただろうかと…。

 他人の喜びを自分の喜びとして感じ、他人の悲しみを自分の悲しみとして感じて、お互い強く抱きしめながら声を出して泣いたその瞬間、68人の部員たちが「一つ」になったのを全身で感じた。

 「試合に出ても、ベンチにいても、いや、フェンスの外から声援を送っても、みんなの心は最後まで1つだったな…」

 ぼくはこの時、友だちがどれほど大切なものなのかを心から感じたし、友だちの存在が自分の学生生活の最高の宝物であることをあらためて感じたのだった。

 振り返ってみると、中体連全国大会の大阪市予選大会から今日まで4カ月間、本当にたくさんのドラマがあった。

 大阪市予選初試合の時、ぼくたちは、全国大会につながる一番重要な試合なのになぜか集中することができず、1−4で完全に敗れた。誰も想像できなかった敗北、振り返ってみるとぼくたちの心の中に全国大会を軽く見て、心のどこかで勝てるだろうという高慢な考えがあり、試合の態度に出てしまったのだと思う。

 昔はいくら実力があっても朝鮮学校という理由だけで予選さえ出ることができなかった全国大会。ねばり強い闘いで9年前にようやく出場権を獲得して参加することができるようになった、歴史深い大会ということを何度も聞いてきたぼくらだった。ところが、その重要な大会の予選初戦で負けてしまったのだ。あの時の衝撃はあまりにも大きかった。

 しかし、ぼくたちにはまだ生きる道があった。市予選には敗者復活戦があったからだ。僕たちは崖っぷちに立って、やっと目を覚まして初心に戻り、ふたたび討論に討論を重ねて再出発することになったのだ。

 練習も以前とは違い気迫にあふれた。こうなればぼくたち東中サッカー部は無敵だ。

 その後の試合で見違えるほど闘志と姿が変わったぼくたちサッカー部は、大阪市で3位、大阪府で優勝、近畿大会で優勝して、再び全国大会に出場することになった。

 今も忘れることができない府大会準決勝。

 試合に勝って近畿大会出場が決まった時、去年大阪市代表で全国大会に出場した友渕中学校サッカー部主将が一枚の大きな横断幕を渡してくれた。

 その横断幕には、「イギョラ オオサカシ! マウムン ハナ(がんばれ大阪市! 心はひとつ)」と書かれていた。この横断幕はまさしく日本の人たちが作ったものなのに、その横断幕には日本語とともに朝鮮語が書かれていたのを見た瞬間、ぼくは胸が熱くなった。何とも表現し難い感動が胸いっぱい広がった。

 時代は変わったんだ。日本の人たちが大阪市の代表として近畿大会に参加する朝鮮学校を応援してくれるだけでなく、朝鮮語を刻んだ横断幕まで作ってくれるなんて…。

 ぼくは胸の中でつぶやいた。

 (今日の感激を忘れないぞ! ぼくたちは大阪市の代表だ、堂々と最後まで戦おう!)

 68人みんなが心を一つにした。

 ぼくたちはこの横断幕を持って近畿大会の舞台に立った。競技場には両親はもちろん、たくさんの同胞たちと400人余りの東中全校生がバス7台に乗って滋賀県まで応援に来てくれた。また、大阪の城陽中学校と友渕中学校サッカー部員たちが応援団を作り、「応援歌」まで作って試合中、熱裂に応援してくれた。

 ぼくの胸は感謝の気持ちでいっぱいになった。

 (ぼくたちの試合のためにこんなにたくさんの人たちが訪ねて来てくれた。絶対負けるもんか。ぼくたちは勝たなければならない!)

 ぼくたちはただ勝利のためにボールを蹴った。友だちと同胞たち、そして日本の人々の応援の中で、ぼくたちは思いきりぼくらのサッカーをして「近畿大会優勝」の栄誉をになって全国大会に出場することになったのだ。

 全国大会2試合目の時、「新しい歴史を作ってみよう」と背中を押してくれたサッカー指導の先生の期待には報いることができず、またもや16強の壁を越えることはできなかったけれど、今振り返ってみるとそのすべての瞬間瞬間がぼくの「青春」だったと感じる。

 この大会期間を通じてぼくが一番感じたことは、たくさんの人たちの愛に対する感謝の気持ちだ。自分たちの力だけでは全国大会出場は到底無理だったはずだ。

 大阪市予選から最後の試合まで24試合、一度も欠かさず応援しに来てくれた先生たちやアボジ(お父さん)、オモニ(お母さん)たち、東中全校生徒、そして、福井、滋賀、愛媛、東京までぼくらを応援しに来てくれた多くの同胞たちと日本の学校の友だち、そして何よりも3年間ぼくたちを指導し、育ててくれたサッカー部の先生たちに心から感謝の気持ちを伝えたい。

 本当に、本当にありがとうございます。

(高希誠、東大阪中級)

(翻訳・編集部、終わり)

[朝鮮新報 2007.2.2]