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〈朝鮮と日本の詩人-24-〉 槙村浩

 おお三月一日!/民族の血潮が胸を搏つおれたちのどのひとりが/一九一九年三月一日を忘れようぞ! その日「大韓民族万歳!」の声は全土をゆるがし/踏み躙られた日章旗に代えて/母国の旗は家々の戸ごとに翻った/胸に迫る熱い涙をもっておれはその日を思い出す!/反抗のどよめきは故郷の村にまで伝わり/自由の歌は咸鏡の嶺々に谺した/おお、山から山、谷から谷に溢れ出た虐げられたものらの無数の列よ!/先頭に旗をかざして進む若者と/胸一ぱい万歳をはるかの屋根に呼び交わす老人と/眼に涙を浮かべて古い民衆の謡をうたう女らと/草の根を齧りながら、腹の底からの嬉しさに歓呼の声を振りしぼる少年たち!/赭土の崩れる峠の上で/声を涸らして父母と姉弟が叫びながら、こみ上げてくる熱いものに我知らず流した涙を/おれは決して忘れない。

 右は、槙村浩の叙事詩「間島パルチザンの歌」(全15連181行)のうち、第6連と第7連の全文である。この詩は、間島地方で戦う朝鮮人パルチザンの勇姿をうたいあげた傑作である。引用部分は、詩のヒーローであるパルチザン戦士の「おれ」が3.1独立運動を回顧して、その感激を新たにした興奮を流出している。詩はすぐれた自然描写と歴史的記述を巧みにないまぜて「いま長白の嶺を越えて/革命の進軍歌を全世界に響かせる」朝鮮人パルチザンに対する、日本の詩人のインターナショナルな友誼をたくましく韻律化している。

 槙村浩は高知県に生まれ、同地で共産党に入党して文化活動に献身し、1932年にこの詩を発表することでプロレタリア詩に戦闘的なリズムをもたらした。過酷な獄中で発病し、出獄後間もなくわずか26歳で他界した。詩集「間島パルチザンの歌」(新日本出版社)がある。(卞宰洙、文藝評論家)

[朝鮮新報 2007.2.8]