記念集「姫路朝鮮問題研究会三十年の歩み」の刊行、差別撤廃 朝鮮学校への支援…、多彩 |
歴史に刻まれる真摯な歩み
姫路朝鮮問題研究会は1976年4月24日、朝鮮問題学習会として発足し、80年6月14日、研究会に改称された。兵庫県下唯一の朝・日関係組織でもある。 地元姫路において朝・日関係交流が具体的に行われたのは、1976年姫路教職員組合のストライキ闘争で公立会場はすべて断られ、場所の選定に困っていたところ、西播朝鮮初中級学校の校長より学校の体育館を利用したらという心強い申し出があり、その体育館を利用するところから始まったという。 その後、バレーボール試合、運動会にも招待されるなどの交流の中で、相互信頼と連帯の絆が深まっていった。 このような過程において、姫路教組の仲間からの要望もあって朝鮮問題学習会を立ち上げたという。 次いで学校の訪問、授業参観、日本の先生の朝鮮学校での授業、朝鮮大学校への訪問などが行われた。 これらの朝鮮学校との交流が、やがて全国的な流れとなり、姫路教組主催の弁論大会、音楽会、スポーツ大会などに朝鮮学校の出場が可能になった。
姫路朝鮮問題研究会の出発の目的は、まず朝鮮を正しく知ることであり、朝・日間の架け橋の役割を果たすため、日本の多くの仲間によって機会ある毎に訪朝団を募り、いく度となく実現させていった。一方、朝鮮からの代表団を積極的に受け入れるとともに、歓送親睦会も行った。 また、在日朝鮮人に対する差別撤廃、待遇改善、JR定期券問題、朝鮮学校を学校教育法一条校に準じて扱うよう求める運動、強制連行現地調査、遺骨収集調査など…。一方、チュチェ研の全国集会、強制連行全国大会の受け入れ、朝・日国交正常化のための勉強会、朝鮮の自主的平和統一を支持する運動などにも取り組んだ。以上のように、姫路朝鮮問題研究会が結成以来、30年の間積み上げた活動の成果を集大成したのが、今回発刊された「姫路朝鮮問題研究会三十年の歩み」の記念集(450ページ)である。 私は、この記念集に収録されている各項目の設定、豊富な内容に注目したのである。 さる1月14日、姫路教職員組合結成60周年、姫路朝鮮問題研究会結成30周年を記念する式典が、姫路キャッスルホテルにおいて厳かに行われた。会場には、全国から各階各層の代表400余人が参席していた。私は総連側の代表と席を共にし、旧来の日本の知人とも会える好機会であった。 式場において松尾司氏(三十年記念集編集委員長)は、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンのもと、姫路教組が結成されたし、「朝鮮を知ろう」から姫路朝鮮問題研究会が結成されたことに言及し、記念集の発刊経過について報告した。 今日の殺伐とした厳しい情勢下において、朝鮮問題が取り上げられたのは大きな意義があり、しかも朝鮮問題研究会30年の歩みの記念集が参加者に進呈されたのも意義深い。 松尾氏は、記念集発刊に際し、要旨次のように述べている。 「今もって朝鮮民主主義人民共和国とは国交がなく、極めて不正常な関係を国は続けてきている。それは、日本が朝鮮を36年間に渡って植民地支配し、侵略したという戦争の歴史を清算するどころか、冷戦構造の中で、アメリカの傘の下に入り、終始朝鮮敵視政策を取り続けていることは明白である。 このような時だからこそ冷静さを保ち、『拉致』という不幸な歴史に終止符を打つため、過去の戦争の歴史を清算し、日朝国交正常化交渉が一日も早く開催され、国交が回復し、真の日朝友好が確立することを期待する」 姫路を中心に、西播地域における朝・日交流の連帯と絆は変わることなく維持発展している。その基礎となっているのが姫路朝鮮問題研究会であろう。 今は、朝鮮学校を支える会の中心メンバーもその会員らであり、昨年11月、西播朝鮮初中級学校60周年記念集会にも多くの仲間が参加し、記念集会を祝ったと聞いている。 姫路教組の前幹部の一人は、昨今「日本では拉致、ミサイル、核問題などとくに朝鮮に関しては、何を言っても通らない風潮になっている。しかし、朝鮮学校生徒に対する脅迫、いやがらせなどは、絶対に許されない」と語った。痛みを共有していこうという意志の表れであった。 今時、「姫路朝鮮問題研究会三十年の歩み」の発刊は、内外に及ぼす影響は大きく、われわれにとっては励みになるだろう。(李大熙、社協中央顧問) [朝鮮新報 2007.2.12] |