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〈本の紹介〉 韓国近代科学技術人力の出現

科学者、技術者育成の実態

 植民地期、朝鮮に科学はあったのか? このような問いにすぐに答えられる人は、ほとんどいないだろう。むろん、当時、朝鮮には京城帝大理工学部があり、中央試験場をはじめとする研究機関があり、興南には世界的規模の化学工場もあった。しかし、それらは「朝鮮地域における日本人の科学技術」であり、朝鮮人の科学技術ではない。では、それはどのような形態で存在し、どのような役割を果たしたのか? このような問題にはじめて取り組んだのが本書で、著者がまず行ったのは、その題名「韓国近代科学技術人力の出現」が示すように結果としての科学技術ではなく、その担い手である科学者、技術者育成の実態と、彼らの活動を明らかにすることであった。

 本書は4部から構成され、まず第一部は1897〜1910年のいわゆる大韓帝国期の科学技術の定着と試練、第2部は1910〜1919年の日本による植民地化と科学技術人力養成体系の変質についてである。第3部は本書の中心といえる部分で、1919〜1935年の朝鮮人の科学技術界進出と日帝の抑制である。

 3.1運動によって日帝は文化統治へと政策転換を余儀なくされるが、それを背景に朝鮮人子弟は日本を中心とした海外留学を果たし、理工系大学の卒業者も増加、博士号を取得し大学や研究機関に勤務する人も現れた。このような人たちを科学者というならば、この時、朝鮮で初めて科学者が登場したのである。しかし、大多数は教育活動に従事したり、日本人より待遇の低い下級職に甘んじ、最悪の場合は職を得ることさえできなかった。著者は、大学の卒業者名簿をはじめとする資料を丹念に調査して得た数字を挙げながらそれを実証しているが、その地道な努力には頭が下がる。

 最後の第4部は1935〜1945年の朝鮮人科学技術人力の増加と戦争動員で、朝鮮人が運営する大同工専と京城帝大に新設された理工学部を中心に記述している。とくに、後者に関する本格的研究は本書がはじめてで、日本の原爆開発計画の一部としてウラン鉱物の探査を行っていたという指摘は、日本の研究者からも重く受け止められている。実際、筆者はこの問題について日本STS学会のシンポジウムで講演を依頼されたことがある。

 さて、本書を一読してあらためて気づくのは科学者、技術者養成という本来ならば政治とはそれほど関係がないと思われた分野でさえも、日本の植民地支配に抵抗する民族運動という性格をもって展開されたという事実である。これまで植民地期の諸問題は近代化論と収奪論を対極になされることが多かったが、それは支配する側の視点を多分に含み、かつ感情論が先走るという傾向があった。本書はその反省に立って、まず朝鮮人を主体とする視座を確立し、その実態をぼう大な資料調査に基づいて明らかにするとともに、支配する側についても詳しい考察を行っている。今後、この分野の基本文献となるのはもちろん、その研究態度においても学ぶべきことが多い書籍である。(金根培著、文学と知性社、問い合わせ=コリアブックセンター)(任正爀 朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2007.2.27]