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〈朝鮮と日本の詩人-25-〉 茨木のり子

 韓国の老人は/いまだに/便所へ行くとき/やおら腰をあげて/〈総督府へ行ってくる〉/と言うひとがいるそうな/朝鮮総督府からの呼び出し状がくれば/行かずにすまされなかった時代/やむにやまれぬ事情/それは排泄につなげた諧謔と辛辣/ソウルでバスに乗ったとき/田舎から上京したらしいお爺さんが座っていた/韓服を着て/黒い帽子をかぶり/少年がそのまま爺になったような/純そのものの人相だった/日本人数人が立ったまま日本語を少し喋ったとき/老人の顔に畏怖と嫌悪の情/さっと走るのを視た/千万言を費されるより強烈に日本がしてきたことを/そこに視た

 右の22行の詩は、茨木のり子の「総督府へ行ってくる」の全文である。

 難解詩とは程遠いこの詩は、庶民的感覚で日本帝国主義の植民地支配を拒否する民族的批判精神に心をゆさぶられた詩人の心情を滲みこませたところに特徴がある。

 日本語に恐れと拒絶反応を示す老人の「顔に」、詩人は、自分を含めた日本人が過去、どんなに酷い仕打ちをしてきたかということを「千万言を費やされるより強烈に」読みとっている。そしてこの14文字には反省と謝罪の響きがある。

 茨木のり子は20歳で敗戦を迎え、戦時中にも日帝が犯した犯罪を告発する詩を書いている。「強制連行の補償もしないし、従軍慰安婦の問題も、まだ解決していない…」という発言を、今から10年前に残したのは印象的である。

 50歳から朝鮮語を習い、南朝鮮の詩人たちの作品を翻訳出版する仕事にも精力的にとり組んだ。

 北と南とを問わず、朝鮮に親近感を抱きつづけた茨木のり子の詩は、在日にも多くのファンを集めたことだろう。

 この詩は、詩集「落ちこぼれ」(理論社刊)に収められている。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.2.28]