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若きアーティストたち(44)

新人陶芸家・許允美さん

笑顔がステキな許さん。作品作りは明け方まで続けることもあるそうだ。

 朝鮮大学校(東京都小平市)の中庭の裏手にひっそりとたたずむ陶芸室には、目下制作中の許允美さん(26)の作品が所狭しとおかれている。

 「散らかってますけど、気になさらないで。ここの方がモチベーションが上がるんです」と、屈託のない笑顔を見せる。

 深く澄んだ緑深き透明さ、翡翠の青さが魅力の高麗青磁の特徴を生かした陶作。初の個展を12日から19日まで、同大美術科展示室で開く予定だ。

 「高麗青磁の曲線は朝鮮民族が愛する形、高麗青磁の色も朝鮮民族が愛するもの…。これには朝鮮民族のアイデンティティがぎっしり詰っている」

 手元にある、祖国で製作した高麗青磁を見つめながら、許さんは静かに話した。

 許さんが(祖国に行って、高麗青磁を学びたい!)と強く思ったのは、偶然目にした月刊「祖国」の記事がきっかけだった。文芸同の一員として05年と06年の夏、朝鮮訪問の際に、万寿台創作社で人民芸術家・任士準氏の子息・任郷益、官益氏らに高麗青磁の手ほどきを受けた。

万寿台創作社で。製作に取り組む姿は真剣そのもの

 「高麗青磁は朝鮮の土を使って作るもの。それ以外は高麗青磁とは呼ばない。祖国の土(粘土)を練って、形を作り、削って、乾かし、かまどで焼く…」

 素地の表面を刻み、白土・赤土などをその部分にはめ込んで文様をあらわし、最後に青磁釉をかけ焼成した象嵌青磁は、許さんが朝鮮で製作したものだ。象嵌青磁は、高麗でのみつくられ、中国・日本などほかの地域では見られないオリジナルだと言われている。

 「高麗時代は仏教を国教としていたため、青磁に刻む文様は、鶴、蓮、松など経典に出てくる形象物が多い。高麗は李成桂によって滅ぼされ、朝鮮王朝時代は儒教が国教とされたため、多くの青磁が壊されたという悲しい歴史もある」という。

 許さんが美術に目覚めたのは、朝大外国語学部在学中のこと。独学でデッサン、美術史の勉強を始め、ある時、美術科の教授の研究室に立ち入り、突然、「美術の勉強がしたいんです!」と、打ち明けたこともあった。体の中にみなぎるパワーのやり場がわからず悶えていた。

 「今思い返すと、幼い頃から美術品に囲まれて生活してきた。親は美術品のコレクターで、展示会にもよく連れて行ってもらった」

 美術科の先生にデッサンを見せるものの、「絵の素質はない」と断言された。日本の陶芸教室に通い、粘土と向き合う日々。高麗青磁の記事を見つけたのはその時だった。

 卒業後は同大図書館で働きながら、美術の勉強を熱心に続けている。今では同大教職員と子どもたちを対象に陶芸教室も開いている。昨年の創立50周年記念イベントでは作品を展示、小平市民を対象に、陶芸絵付け体験コーナーを実施し、約50人が参加した。

 「地元(山口県下関市)では、朝鮮の美術品を日本の人たちに広く知らせるための展示会を開いている、呂成根さん(在日本朝鮮商工連合会副会長兼合営経済交流協会会長)がいらっしゃいます。今後は、朝鮮に通い、青磁の勉強を重ねるだけではなく、それを広められるような活動がしたい。呂さんがしてきた活動を途絶えることなく受け継ぎたいと思います」と瞳を輝かせる。

 初の個展には、朝鮮で製作した高麗青磁6点を含め、日本の粘土を使って「朝鮮風」に作った大小の器30点を出展する予定だ。(金潤順記者)

※1980年生まれ。徳山朝鮮初中級学校、広島朝鮮初中高級学校(高級部)、朝鮮大学校外国語学部卒業。05、06年、在日本朝鮮文学芸術家同盟の一員として朝鮮訪問、万寿台創作社で高麗青磁の手ほどきを受ける。中野グループ展、クリム展、パラムピッ展に出展。12日から朝大美術科展示室で「許允美作品展」を開催。

[朝鮮新報 2007.3.6]