〈朝鮮と日本の詩人-26-〉 浜田智章 |
浜田知章という詩人がいる。1920年生まれだから、今年86歳になるが、詩を本格的に書きはじめたのは、1948年に個人誌「山河」を創刊した時であった。51年に「山河」が同人誌になると、ここで長谷川龍生、小野十三郎たちと知己となり、のちに富岡多恵子、倉橋健一たちとも親しく交わった。52年に、在日の詩人許南麒も同人であった詩誌「列島」に加わり、56年に自家版の「浜田知章詩集」を上梓した。以後、評論集「みんなで詩を書こう」「浜田知章第二詩集」「−第三詩集」を刊行し、82年には「日本現代詩文庫」の第5集「浜田知章集」が出た。これには「朝鮮の女」「ソウルの雨」など8篇の朝鮮関係の作品があり、そのうちの6篇が朝鮮戦争をテーマにしたものである。 そいつらは/ソウルから帰ってきた。/海底トンネルをくぐると/東に向かって直線コースだし、/大阪梅田で寝台車に接続される/ゲリラの心配がないからと私語し合うのだ。/そいつらは/いま、山陽線の暗い陰雨に屈折する/重い車両の動揺のなかだ。/ざっと八百、/天井から垂れている黒い脚、刺青のある白い腕、首の間から/米国防省発行This is war≠ェ/白いページをひるがえし/傷だらけの縦列の上をつっきったと思うと/朝鮮の山野に/巨大な亡霊となって立ちはだかった。/人間という人間、街という街に/ナパーム弾を投下したのは/そいつらだ!/そいつらだ!(「ソウルの雨」全2連51行のうち最初の21行) 朝鮮戦争で負傷した米軍の惨めな姿を描いた詩としてのリアリティは鮮烈である。日本の先駆的な抵抗詩人である知章は、米国の戦争犯罪を容赦なく断罪したことで、朝鮮人には忘れ難い存在である。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2007.3.15] |