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若きアーティストたち(46)

美容師 尹貞恵さん

「チャンスはどこにでもある。肝心なのは、自分自身があきらめないこと」

 髪を切って、パーマやブローで整え、カラーリングを施し…さまざまな技術で理髪を行っていく美容師。お客さんの注文や流行に合わせ、的確にヘアスタイルを仕上げるテクニックとセンスに加え、接客のための話術も欠かせない。

 東京・吉祥寺の美容室「suite salon fluff」で、トップスタイリストとして働く尹貞恵さん(30)は、幼い頃から美容院へ行くのが好きで、小学校の卒業文集に将来の夢を「美容師になりたい」と綴った少女だった。

 一見、口数が少なく、大人しそうに見える彼女だが、これまでいろんな髪型にチャレンジした。例えば、ベリーショート、アニーのようなアフロパーマ、20代前半には刈り上げていたこともあるという。髪の色も赤やブルー、金髪に染めたこともあるというから驚きだ。

 朝高卒業時は、朝大進学を勧める担任と、「派手な世界だから」と反対する両親を押し切って、自分の意思を貫いた。専門学校には本名で、チマ・チョゴリを着て面接に向った。最大の関門である国家試験もストレートでパスし、就職活動は求人誌などはいっさい見ずに、自分の足で美容室を探し歩いた。

 「履歴書の国籍欄には『朝鮮』と書いた。それで白眼視されるような職場では最初から働きたくなかった。堂々と、あるがままの自分の姿を受け止めてもらいたかった」と、意思の強さをのぞかせる。

尹さんのカットには定評がある

 20歳から7年間は新宿の中規模くらいの美容室で、20人弱の美容師のうちの1人として働いた。「最初は手荒れがひどくて、飲み薬と塗り薬を使いながら仕事を続けた。一時は手荒れの傷からばい菌が入り、腕が上がらなくなったことも」。

 23歳でスタイリスト、25歳でチーフを任された。店舗がオフィス街にあったこともあり、服を全部黒にしてみたり、高いハイヒールを履いてみたりと、「大人になろう」と努力した。「業界に入る前は、ただ髪を触っていればいいと思っていた。でも、それだけではだめだった。大人になるということは内面を磨くこと」。そう気づいた尹さんは、本を読んだり、いろんな情報を積極的に取り入れて行くようになった。

 技術向上のためにと、吉祥寺の小さな美容室に移ったのは3年前。得意とするカットの腕前で指名客を多く持つ。「髪は残して形を作る。デザイン、バランスを考えながら、彫刻のように…」。

 繊細な作業を、ほぼ一日中立ちっぱなしで行う、意外にスタミナが必要な美容師という仕事に「朝高時代のサークル(テニス部)で培った体力と精神力、チームワーク力が活かされている」という。

 美容師をしていて一番うれしいのは、「カットモデルになってくれた人が、スタイリストになったあとも7年間固定客としてついてくれたこと」だという。

 「いつかは自分のお店を持ちたい。そして、老人ホームや、寄宿舎のあるウリハッキョなどで、無料で髪を切るボランティアをしてみたい。ハサミ1本あればどこへでも行けるから」と笑顔で話した。(金潤順記者)

※1976年生まれ。東京朝鮮中高級学校、東京美容専門学校卒業。01年美容の技術を学ぶため、イギリスのヴィダルサッスーン・アカデミースクールに短期留学。新宿で7年、吉祥寺で3年美容師として働く。現在、「suite salon fluff」主任。最新の流行を取り入れて、月に1度は髪型を変える。

[朝鮮新報 2007.4.3]