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女性同盟と在日コリアンオモニネット 子育てエッセー懸賞募集、入選作品発表

脈打つ民族への愛、若い世代の奮闘記も

19都道府県から寄せられた50編の応募作品

 昨年の第7回中央オモニ大会に際して女性同盟と在日コリアンオモニネットが共催した「子育てエッセー懸賞募集」の審査が3月15日、東京・白山の朝鮮出版会館で開かれ、「オモニの愛賞」2編、「子育て奨励賞」2編、「佳作」7編がそれぞれ選ばれた。文芸同、朝大、朝鮮新報、女性同盟中央から4人の審査委員が出席して、入選作を決めた(なお、全応募作品を収録した本が、6月頃に刊行される予定)。

 19都道府県から寄せられた50編の応募作品は、朝鮮語と日本語によるエッセー、手記、歌、詩、手紙など多様なもので、心のこもった力作が目立った。

 作品は、子どもたちを異国日本で、しっかりした朝鮮人として育てようと奮闘する若い世代のオモニたちの生活ぶりを描いたものや、苦難の時代を過ごした1、2世のオモニたちを偲びながら、その足跡を振り返ったもの、さらに、地域における子育て支援活動の体験談など多岐にわたる。すべての作品には、民族への思いや家族への熱い愛が脈打っている。

 「オモニの愛賞」を受賞した尹美生さんの作品は、時代的な制約の下、封建的なしがらみの中で生きざるを得なかったオモニの半生に強い共感のまなざしを向けたもの。

 植民地時代に朝鮮で生まれ、幼い頃に渡日したオモニ。当時、女性は家にこもり、夫に従い、つつましく家庭を守る「良妻賢母」の生き方が模範とされた。しかし、確とした自我をもって生きた尹さんのオモニは、紀伊山脈の山奥で夫とともに男顔負けの土木の仕事をこなし、時にはダンプの運転をしながら、飯場で70人もの人夫の食事作りまでやってのけた。

 しかし、その一方で、短歌を詠み、古代史に興味を持つインテリ女性だった。書棚には「思想の科学」や「婦人公論」が並んでいたという。そんなオモニが、苦しみに耐えかねて家を出ようとしたこと、その内なる心の叫びを慮る。「オモニは思う存分に自己表現を求めて、自立的に生きたいと願っていたはず」と。尹さんは「(オモニを引き止めた)私たちがオモニの人生を、豊かな才能を潰してしまったのではと」当時を断腸の思いで綴る。母娘の葛藤、さらには時代に先んじ自我を貫こうとしたオモニの心の叫びに踏み込んだ感動作だ。

 鄭映心さんの作品は、6年前に他界したオモニを思い出しながら、二人の子の子育ての日々を綴ったもの。42歳の高齢出産だったオモニは、心臓が悪く、出産しても母子の助かる確率は10%ほどと医師から宣告を受けながら、命がけで鄭さんを産んだという。

 そうしたオモニから受けたあふれる愛を、6歳と3歳の子育ての中で受け継いでいこうとする鄭さん。豊かな感性と優しさにあふれる印象的な一文である。

 「子育て奨励賞」の朴明姫さんは、ウリハッキョに娘を通わせるオモニとしての多忙な日常を、スピード感あふれる文章で綴った。厳しい情勢の中、「同胞共働き家庭の低学年の子どもたちが、放課後をいかに過ごすのか」というテーマに果敢に挑み、「学童保育クラブ」を通じて地域社会に溶け込んでいった一家の姿を力強く描いた。はつらつとしたオモニと明るい家族の前向きな生き方は、一陣の風のような心地よさを読者に運んでくれるはずである。

 一方、李美鮮さんの作品は、ある夜、突然呼吸不全に陥った体験から、「死」について初めて意識しながら愛娘4人の行く末に思いを馳せ、自立心と民族性豊かな成長を願うオモニの願いを書き上げた。そして、今年80歳を迎えた李さんのオモニが、貧しい暮らしの中でも7人の子どもたちに民族教育を受けさせ、組織と祖国を守るように教えた一筋の道を孫の世代が歩み続けるよう強い願いを込めている。(朴日粉記者)

入選作

【オモニの愛賞】

 「オモニへ」(尹美生 大阪)
 「オモニがくれた心」(鄭映心 埼玉)

【子育て奨励賞】

 「いざ行かん、在日コリアンの看板しょって」(朴明姫 東京)
 「代を継いで愛する娘たちに」(李美鮮 静岡)

【佳作】

 「私が見つけた場所」(池登淑 千葉)
 「道」(金英玉 愛知)
 「オモニの履歴書」(金春淑 神奈川)
 「愛する子どもたちへ」(閔静愛 広島)
 「オモニ」(申英香@愛知)
 「サプライズ」(崔永喜 東京)
 「ハラハラ、ドキドキ」(李仙香 京都)

[朝鮮新報 2007.4.16]