高銀の抵抗詩 「トラジの花−盧寿福痛史 序吟−」について |
一人の女人の恥辱は、「わが民族の断崖」
植民地朝鮮 そして詩人が得意げにうたった ああ 昭南島(※)/シンガポール陥落 ああ 昭南島/行けども行けども南支那海 その荒海越えて/ひと月と十日 運ばれて行った女子挺身隊 太平洋へ 中国へ 運ばれた/朝鮮乙女の二十万人 トラジの花よ/二九一 ピー ピー トラジの花よ(※) いま その極限の恥辱 深く深く葬っていたのに/これはまた なんという霹靂 晴天の霹靂か/一人の女人の一生が/三千万同胞の生き身の皮を剥ぎとり/生肉を切りそぎ刺身にする 今日/だれが、この痛みを叫ぶというのか 一日に三十三人 五十人の奴らからも生きのびた生命/この 生命で 四十余年 東南アジアのどこかに隠されていて/いま いずこかのハルモニだと 暴かれた わが民族よ/八.一五にも 屈辱に嘖まれ/息ひそめて 椰子の木陰に蹲り/過ぐる日の洛東江の 砂地 安心村の/裏山に咲き乱れた 怨みのトラジの花よ ああ これから わたしたちには/もう無窮花の花は国花ではない/ ※昭南島 日本が英領シンガポールを占領した直後に、日本式に変えた呼び名。親日派の詩人が祝詩「ああ、昭南島」を発表した(原注)。高銀のいう親日派詩人の祝詩とは毛允淑の「ホザンナ昭南島」を指したものと思える。「ホザンナ」とは神を賛美するときの声。(訳注) ※二九一 ピーピー トラジの花 慰安婦一人に日本兵29人を受け持たせたことから慰安婦をさした隠語。ピーとトラジの花も同様、朝鮮の慰安婦をさした隠語(原注)。 「皇軍」=天皇の軍隊と呼ばれた「大日本帝国陸軍」は、侵略した国と地域において、放火、略奪、殺人、レイプをほしいままにした。沖縄では自国の民をスパイ容疑で殺し、集団自殺に追いこんだ。かてて加えて「慰安婦」を従軍させるという、醜悪であさましくさもしい軍隊であった。「従軍慰安婦」の実体については、日本軍による直接的な拉致、暴行、監禁の事実があったことを、何よりも犠牲者自身が証言しており、国連人権委員会やILO(国際労働機関)の専門委員会も認めており、再三にわたって真相究明と解決を強く勧告している。 それにもかかわらずである、安倍首相とその周辺は破廉恥にも「強制性について、それを証明する証言や裏付けはなかった」などと強弁した。日本はいまだかつて、国家の責任において謝罪し補償したことはない。今回の安倍首相の「慰安婦」問題への国家関与の否定は決して偶然のことではない。それは沖縄の集団自決への軍の関与を認めないことと同根であり、侵略戦争を「大東亜戦争=聖戦」だと美化し、憲法を改悪して「戦争をする国」に突き進むことと深くかかわっている。「慰安婦」問題で、日本は世界から孤立していることを知るべきである。 盧寿福ハルモニが「慰安婦」であったことを名乗り出て、日本帝国主義の罪禍とそれを認めようとしない戦後の日本政府に対して身をもって抗議したとき、彼女の勇気に敬意をこめて高銀はこの詩を発表した。 第1連と2連で、植民地であったがゆえに20万もの朝鮮の乙女が、日本侵略軍の駐屯する地域に強制連行されて「二九一」という悲惨で残酷な運命にさらされたことを告発し、同時にこの時期に親日文学者が現れたことをも弾劾している。高銀のモチーフの確かさは、こうした告発と弾劾を、詩人みずからの痛みとして昇華させているところにある。さらに、「一人の女人の一生が」三千万同胞すべての痛恨としてとらえられているために、この詩は日帝植民地支配を正義の棘をもって刺しつらぬく鋭さを秘めている。さらに、今もって国家の犯罪として認めようとしない日本に対する憤怒を、鋭角的なリズム、率直な語法と表現力とを用いて詩行にみなぎらせている。 第4連の「ああ これから 私たちには」以下6行は、「韓日条約」の締結で「従軍慰安婦」に対する国家的謝罪と補償問題を日本政府に徹底的に求めようとしない歴代の南の政権の反民族的無責任を、無窮花にかわってトラジの花が「運命の国花である」という巧緻な暗喩で追及している。この詩はテーマが暗澹たるものであるにもかかわらず、湿潤な暗さがなく、精巧に選ばれた詩語が紡ぎ出す硬質の抒情性をもって抵抗詩としての効果を高めている。さらに「わが民族の断崖」という詩句には、「従軍慰安婦」問題は、民族の誇りと尊厳をもって必ず解決されるべきであるという、強い意志がこめられている。 「従軍慰安婦」問題をテーマにした詩としては、南の女流詩人張貞任の叙事詩集「あなた 朝鮮の十字架よ」(金知栄訳 影書房刊)が異彩を放っている。また、日本の閨秀詩人石川逸子の詩集「砕かれた花たちへのレクイエム」(花神社刊)、それにこの詩人のルポ「従軍慰安婦にされた少女」(岩波書店刊)や、「肉体の門」の作家田村泰次郎の短篇「蝗」もある。 高銀は1933年に全羅北道群山市に生まれ、4.19人民蜂起を契機に参与詩人、民衆詩人としてすぐれた詩とエッセイを数多く発表し、世界的にも広く知られている。南の民主的文学者の団体である「民族文学作家会議」の副議長をつとめ北南作家会議を提唱した。現在北南共同編集の「ハングル大辞典」の編集委員会の委員長である。6.15北南首脳会談に特別随行員として参加し、歓迎宴で自作の詩「大同江を前にして」を朗読して、深い感銘を与えた。日本語訳の詩集として「祖国の星」(全学訳 新幹社刊)と「高銀詩選集」(青柳優子、佐川亜紀共訳 藤原書店)などがある。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2007.4.21] |