〈同胞美術案内@〉 白玲 ベトナム戦争描いた朝鮮の母子像も |
帰国事業をテーマに描く
青空を背景に女性とその子どもと思われる小さな女の子が描かれている。母も子もこちら側を向き、なにかの記念にと、写真を撮ったようだ。 描かれた2人はまっすぐに立ち、画面左から、母、子、そして画面右下の茶の小包へと流れる斜線が作品にゆったりとしたリズムを与える。青空には霧のような雲がうっすらとかかり、その白が母親の上着、女の子の服と呼応し、画面から明るさが放たれる。女の子が握るピンクの野花、履いた赤い靴が、作品のアクセントとなっている。いくぶん単純化され、現実の人間とはすこし距離を感じさせる人物描写だが、親近感がわくのはなぜだろう。 女の子を後ろから見守るようにして立つ母親は、左へ軽く首をかしげ、右手の甲を腰より下にあて、直立というよりもむしろ余裕ある姿でこちらを向く。女の子は頼りない足取りだがすっくと立ち、かわいらしいポーズを決めている。白一色の上着と黒のスカートという母の簡素な衣服に対し、晴れの日のためにと母が用意したと思われる、娘の服や靴。画面全体からほとばしる母の愛情と、それを一身に受ける女の子の愛くるしさが、見るものの心をとらえるのだろう。 母親にも女の子にも目に光がないが、だからといってこの描かれた人物たちが暗いというのではない。この作品の作者は見る人に、描かれた人物たちの瞳に光を与え、作品の裏側に潜むさまざまな事柄を連想するという自由を提供しているのだろう。
良い作品には常に「新しさ」がある。わが祖国の青磁・白磁、中国の水墨山水画、日本の庭園、ギリシャの古代宮殿、西欧の大聖堂。これらは作られたその時代の息吹を今に伝えるとともに、現代に生きるわれわれに新鮮な感覚を与えてくれる。 約50年前、帰国事業をテーマに描かれたこの作品は、当時の人々にも帰国に対するさまざまな思いを喚起したことだろう。しかし、見る人々に「誰が描かれているのか」という疑問を抱かせないこの単純化された人物描写は、描かれた親子にあてはまる人物を連想させるという想像の自由を見る者に与え、帰国事業を新しく思い出させるきっかけを、今のわれわれにももたらしてくれるのである。 作家は白玲(本名=朴栄煥 1926−1997)。1930年に渡日し、旧武蔵野美術学校で油画を習ったという記録がある。1950年代前半には日本青年美術家連合に参加し、日本の画友たちと戦後美術運動を推進した。1956年に在日朝鮮美術展、1959年に在日朝鮮文学芸術家同盟、1960年には日朝友好展(神奈川)を組織、結成するなど、在日朝鮮人美術界でも常に先頭に立って活躍した。 絵画ばかりでなく論文や論評も多数執筆し、在日朝鮮人美術の礎石を築いた1世の芸術家である。(白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻) [朝鮮新報 2007.4.27] |