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薩摩の朝鮮人陶工たちが切り開いた「しょうのうの道」

歴史のアイロニー 莫大な利益上げ、日本海軍の戦費に

苗代川薩摩焼製造の図(「三国名勝図会より」)

 全く常軌を逸したとしかいいようのない、「拉致問題」の旋風がすさまじく吹き荒れている状況の中で、内藤雋輔氏の著書「文禄・慶長役における被虜人の研究」(東大出版会1976年版)を読む機会に恵まれた。16世紀末の秀吉の朝鮮侵略に関する研究で、7万人もの朝鮮人が「拉致」されてきたといわれる被虜人たちの実態について、これほど優れたものが出版されていたことに、心からの驚嘆を禁じえなかった。

 内藤氏の著作から多くのことを学んだが、その中で薩摩苗代川の朝鮮人陶工たちが切り開いた「しょうのう(樟脳)の道」とその後の展開について簡単に述べたい。

 薩摩の島津義弘に連行され苗代川に定着した朝鮮人陶工たちはその優れた製陶技術に依拠し、九州地方に繁殖しているクスノキから「しょうのう」を製造する技術を開拓し、これが江戸時代、薩摩藩の主要な財源獲得の一翼を担ったことはその後の研究によって明らかになっている。「しょうのう」の製造には昇華した「しょうのう」を捕集するための素焼鉢が必要不可欠であり、この素焼鉢をつくれる朝鮮人陶工がいてこそしょうのうの効率的生産が可能だったのである。その後、江戸時代末期に「しょうのう」製造の改良法が土佐藩によって見出され幕末「しょうのう」の製造はいっそう盛んになり、クスノキの乱伐、消費が激しくその対策に苦慮したようである。ところで「しょうのう」専売の利益で薩摩藩と土佐藩により幕末〜明治初期に軍艦が買い入れられて日本海軍がつくられ、その軍艦が薩摩、土佐藩出身の軍人たちを乗せ、朝鮮に迫り、江華島事件をおこすのである。明治8年(1875年)「雲揚号」による江華島に対する砲撃、上陸の威嚇により、翌年苛酷な不平等条約「修好条規」が押しつけられた。そして日清戦争後、台湾を植民地とした日本は1903年に日本全体にわたって「しょうのう」の専売制を施行し、時あたかも、「しょうのう」とニトロセルローズを原料とするセルロイドの発明後で、日本の「しょうのう」は世界市場で引っ張りだこであり、「しょうのう」の専売でまかなった軍艦が日露戦争でバルチック艦隊を打ち破るのである。それから1910年の日韓合併へと向かう…。

鉢伏法(「日本山海名物図会」 宝暦4年より)

 薩摩の朝鮮人陶工たちが切り開いた「しょうのうの道」が、彼らの故国朝鮮を威嚇する日本帝国主義の「砲艦外交」と植民地化につながっていたのか…と思うと胸が締め付けられるような歴史のアイロニーを痛感している。

 次に、「しょうのう」を原料とする歴史上最も古い合成樹脂である「セルロイド」と、明治〜大正時代に総合商社として数奇な運命をたどった神戸のかの有名な「鈴木商店」が登場する。セルロイドは人形、玩具それに写真フィルムとして広く使われたが、極めて燃えやすく耐久性がないのが欠点であった。

 一方強烈な個性とリーダーシップで有名な金子直吉を「大番頭」とする鈴木商店は「しょうのう」の製造、専売をはじめ経営の多角化と第1次世界大戦の戦時景気で大飛躍を遂げ、三井三菱と「天下を三分する」と豪語するにいたるが、金融恐慌で倒産の憂き目に遭う。鈴木商店の盛衰と同じように「しょうのう」・セルロイド産業も第1次世界大戦後は衰退の一路をたどることになる。20世紀の後半には石油化学工業の製品である物性の優れた合成樹脂や合成繊維にとって代わられ、薩摩の朝鮮人陶工たちが切り開いたのにはじまり、数奇な運命をたどってきた「しょうのうの道」も閉ざさざるをえなかったのである。

東北大学大学院時代の著者

 ところで、クスノキや薄荷など、それにまつ科、すぎ科など多くの植物には揮発性の油が含有されており植物精油と呼ばれるが、その主成分はテルペン類といわれる炭化水素とその含酸素誘導体である。このテルペン類の化学構造に関する研究は20世紀以降、日本において当時の天然物化学とその後の有機合成化学の発展に大きく寄与した。そして今では「しょうのう」はもちろん、薄荷の主成分であるメントールも先端的な有機合成法によって工業的に生産されている。私が1958年に解放後、在日朝鮮人として取得した第1号の理学博士の学位論文もこの「テルペン化学」の一つの流れを汲むものであった。

 このように薩摩の朝鮮人陶工によって切り開かれた「しょうのうの道」はセルロイド産業としては閉ざされてしまったが、その一方では天然物化学と有機合成化学の開拓、展開にもつながっていたのである。

 ちなみに、内藤氏の著書には僧慶念という秀吉の朝鮮役に従軍した日本人僧の「朝鮮日々記」の解読文と解説が掲載されている。そこには戦争の悲惨さ、苛酷さ、残忍さが赤裸々に描かれているが、今かまびすしい「拉致問題」に関心を持つ人々にはぜひ目を通してもらいたい貴重な記録である。(申在均、元朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2007.4.28]