top_rogo.gif (16396 bytes)

若きアーティストたち(47)

チョゴリファッションデザイナー 李英玉さん

オリジナルの衣装とともに

 北九州育ちの李英玉さん(28)は、物心ついた頃からテレビに映るアイドルの衣装を見るのが好きだった。おしゃれも大好き。思い通りの物を作ってみたくて、小さな手でチクチク…針仕事を好む少女だった。

 「近所の友だちからリカちゃん人形なんかを借りて、洋服を作ってあげたり、髪飾りを作ってプレゼントしたり。本当にそういうことが好きでしたね…」

 朝高卒業後、服飾関係の専門学校に進みたかったが、総聯活動家である両親の説得により、朝鮮大学校に入学した。「何をするにも基礎が大事だと言って。朝大で、先生や友だちから多くのものを学び、ウリナラと民族について学んだうえで仕事をしろと言われました」。

 しかし、興味あるファッションとはかけ離れた環境であったため、両親の教えと自分の素直な気持ちとの間で思い悩む日々が続いた。その結果、朝大を中退。米・シアトルのコミュニティカレッジに短期留学し、ロサンゼルスやニューヨークで可能なかぎりファッションの勉強をした。

着物をチョゴリ風にアレンジしたもの(4月29日に、行われた朝青のイベントで)

 その後は百貨店に出店している有名ブランドのブティックでアルバイトをしながら、素材の勉強をし、コーディネイトや接客のセンスを磨いた。昼はブティック、夜は朝鮮料理店で働きながら専門学校に行くための資金を稼いだ。

 晴れて入学したのは21歳のとき。18、19の年下の子と肩を並べて学ぶため、人一倍がんばろうと自分を鼓舞した。

 「この業界は人とは違うことをしないと生き延びられない」。そう考えた李さんは、この頃、年に2回のファッションショーを行おうと、地元のショッピングモールを訪ねていった。彼女の情熱に胸を打たれた担当者は破格でブースを提供してくれた。

 「街中でモデルになれそうな人に声をかけて、メイクも専門学生のボランティア。朝青小倉支部にもお世話になりました」。ファッションショーは、地元のレストランバーやライブハウス、母校の北九州初中でも開催された。

 李さんの作品には民族色が色濃く反映されている。特徴となっているのは、セットン(いろいろな色の布の帯を虹のようにならべたもの)とオッコルム(チョゴリの胸元を結ぶ帯)。

チョゴリをドレス風にアレンジしたもの(4月29日に、行われた朝青のイベントで)

 ほかにも、チョゴリのV字ネックや袖の曲線を生かしたものもある。

 着物をチョゴリ風にアレンジした作品は、「普通にないもの、在日という特殊な発想を生かしている」として専門学校の先生から高い評価を受けた。

 李さんは現在、大好きなチマ・チョゴリの「普段着化」も考案中だ。「正装のときだけなんてもったいない。チマをデニム地、チョゴリはオレンジ色のTシャツ風なんてどうかしら? 原宿あたりではいけそうじゃない?」。

 いずれは自分の店を持ちたいと考える李さん。夢は、「統一したウリナラの38度線の上で、在日同胞の新しい世代とともにファッションショーをすること。私たちがアツイ魂をもって生きてきたことを示したい」。(金潤順記者)

※1978年生まれ。北九州初中、九州朝高、米シアトルベルビューコミュニティカレッジ短期(留学)、国際総合ビジネス専門学校ファッション科。ダナキャランジャパン株式会社、ブライダル彩を経て、現在フリー。01年から北九州、広島、東京などでファッションショー。金剛山歌劇団、九州、東京朝鮮歌舞団ほか、舞台衣装をデザイン、作成。

[朝鮮新報 2007.5.10]