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〈本の紹介〉 蒼い海峡

もう一度自分の足元 点検を

 「誰が好きでこんな仕事をするか。これしかない仕事を、どうせえ云うんや」

 生活苦と不満からつい口喧嘩を始める。

 昔なら飯台が蹴飛ばされ、食器が土間ではじける修羅場となる。幼い弟や妹が泣き出す。

 (中略)英吉は大人になり、結婚し家庭をもうけても夫婦で争いだけはすまい、と堅く思っていた。(本文より)

 作家、辛榮浩氏は自著の中でこう述懐する。

 このたび出版された「蒼い海峡」は、著者の出生から今日までの70年を活字にした、悠大な在日朝鮮史ともいえる半自伝小説でもある。

 作品は前後編に大別されており、前編は第1章の「渦巻く海峡」から、第4章の「一途の道」までを描く。

 1936年8月、京都市に生まれた主人公・英吉(著者自身)は、大阪、愛知、福井の小中学校を転々とし、福井県立若狭高校を経て、立命館大学英文科を卒業する。その長い道程で、日本人の偏見と差別に呻吟し、抗しつつ「民族」を模索し、自分を探し求めるまでの青春群像にはリアリティがある。

 後編は、第5章の「新米教師」から第9章の「人生行路」を描く。

 民族的な誇りすら持てず、五里霧中だった主人公は、やがて在日同胞の民族教育に生涯をかけるべく、1959年京都朝鮮中高級学校に赴任、外国語科教員としてスタートを切る。

 厳しい生活苦の中でも、面映ゆい恋愛や、伴侶との出会い、ユニークな同僚たちとの触れ合い、組織への情熱、祖国に対する展望など、それは1世の果たせなかった新しい朝鮮人社会の生きる姿であった。

 その後主人公は、在日本朝鮮人京都府教育会奨学部長、留学生桂寮舎監、京都朝鮮第1初級学校校長などを歴任。36年間民族教育に貢献した。

 著者は、祖国に向かって明るく前進して行く主人公とオーバーラップさせながら、等身大の自画像を丁寧にスライスし、半世紀を果敢に駆け抜けた「生きることの尊厳」とは何かを示してくれる。

 私たち在日は、依然として北南に分断された祖国を背に、日増しに右傾化して行く日本の厳しい環境の中で、精一杯生きている。すでに3世、4世と代を継ぐ新世代の価値観も多様化してきた。

 国籍の選択をはじめ、母国語の喪失や、二重言語生活、国際結婚や風俗習慣の風化などなど、あらゆる文化事情は変容し、いやがうえにも民族意識は希薄化し、日本人化していく。その進行を誰が何で食い止めるか、著者は最後にこう締めくくる。

 「こんな社会に在日が生活しているだけに、民族のアイデンティティの確立が何より一層大切に思えてくる。在日の三世や四世ら次世代が、これから先、日本や異郷の地、外国のどこであれ、民族の誇りを失わず胸を張り、自分の力を発揮し、意義ある人生を歩み、平凡でも幸せな家庭を築いてくれることを願うばかりである」

 祖国統一の偉業に向けて、今を闘い著者の最後の所願であり、「民族」を「教育」することの必然性を強調し、その防波堤を第一線で守ってきた作者の叫びではないだろうか。

 「蒼い海峡」を読んだ多くの人々が、自分の人生の中で「民族」のせめてものかけらを一つでも拾い上げ、もう一度自分の足元を再点検する新しいステップにしていただければ幸いである。(辛榮浩著、新風社、2300円+税、TEL 03・3568・3333)(韓丘庸、児童文学評論家)

[朝鮮新報 2007.5.9]