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〈本の紹介〉 コリアタウンに生きる 洪呂杓ライフヒストリー

「多文化共生の街」の原点

 20世紀は戦争と暴力の時代であった。「従軍慰安婦」にされた女性たちや強制連行に駆り出された朝鮮人労働者たちの悲惨な歴史を決して忘れてはならないとの思いを強くする。

 彼らが歩んだ苦難の体験を、女性史、民族史の記憶として共有してこそ、次世代がそこから学び、教訓を得ることができるのである。

 本書の主人公・洪呂杓さんも、植民地時代に済州島から和歌山に渡ってきた両親の下、和歌山で生まれた直後、また島に帰り、3歳の時大阪にきた。貧しい暮らしとケンカが絶えない日々。多かれ少なかれ当時の在日同胞では典型であったろう底辺の暮らしが語られていく。

 ほとんど学校にもいけない極貧の幼少期。畳3畳間で弟2人と母親と、たまに父親が帰ってきて、せんべい布団にお互い足を突っ込んで寝ていたような記憶しかない。たまに学校に行っても、「コウロシャク」「コウロシャク」と呼ばれてからかわれ、先生からも「名前がおかしい」などといじわるをされたと言う。

 そんな差別に屈せずたくましく成長した洪さんは25歳で大阪府生野区の「コリアタウン」(旧朝鮮市場)で民族的な食材を扱う徳山商店を創業し、さまざまな苦難を乗り越え、会社を大きく発展させながら、朝鮮の味を日本に普及させるために挺身してきた。

 本書の前編には、植民地の民の悲哀が、後編にはトックや冷麺の機械化、オートメ化を実現させていく企業家としての豊かな才能とその成功のプロセスが刻まれていく。

 88年ソウル五輪以降の時代の変化や昨今の韓流ブームも朝鮮料理の需要を大きく伸ばす客観的要因ではある。しかし、洪さんはそのブームの背景には、在日同胞の長年にわたる血のにじむような努力が報われたと誇らしくふり返っている。高品質を望む同胞と日本の消費者との長年にわたる格闘が、どこにも負けない味のよいキムチなどの商品を生み出したのであろう。

 洪さんはまた、済州島4.3事件の体験者でもあり、解放後の朝鮮学校建設でも、地域の同胞らと力をあわせて大きな貢献を果たした。「コリアタウン」を多文化共生の街として発展させた功績とその識見に心打たれる。(高賛侑著、エンタイトル出版、1300円+税、TEL 06.6364・0637)(粉)

[朝鮮新報 2007.5.12]