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〈本の紹介〉 高銀詩選集 「いま、君に詩が来たのか」

詩人の全体像と変革の苦悩

 現代韓国の代表的詩人の一人である高銀は、植民地時代末期に「日本人化政策」に屈辱を味わい反抗心を抱いた。解放の歓喜は彼の体内を掠め去っただけで、戦争の惨禍は身をも心をも戦慄させた。多感な彼は詩人を志しながらも過酷な現実が強いる絶望と虚無、自殺願望に嘖まれ、51年に仏道に帰依する。こうした原体験は高銀の詩的発想に拭いがたく影響している。

 高銀が詩人として認められるのは58年10月に「現代文学」に「春宵の御言葉」「眼差」「泉隠寺の韻」などの詩が純情派詩人徐廷柱の推薦で掲載されたときであった。彼にあっては詩作は奪われた国語を奪還する営為であった。純粋派の泰斗に認められて詩人として出発した高銀の処女詩集「彼岸感性」(60年)と第2詩集「海辺の韻文集」(62年)は、純粋詩として仏教的瞑想の濃厚なものや虚無的現実感の滲み出たもの、生への哀歓をリズムにのせたものが多い。しかし、もっとも初期においても「私の妻の農業」「夕ぐれの山道で」のような生活の匂い漂う作品がみられる。また「歌にはどんな歌にも革命が入っている 歌え」(「歌」)、「詩人の心は すべての悪と虚偽のすき間からにじみ出た/この時代の真実 たった一つの声を作る」(「詩人の心」)などで読みとれるように、後のアンガージュマン詩人の片鱗を示す作品が、すでに書かれていた。

 高銀は、韓国労働運動の原点となり、反独裁民主化闘争の口火を切った全泰壱烈士の焼身自殺に衝撃をうけて、それまでの生き方と詩作を転換させ「三選改憲をして延命を図った軍部独裁政権に立ち向かう運動に、現実参与文学派の同僚とともに先鋭的に加わった」(「詩は誰なのか」)。高銀が日本でも知られるようになったのはこの時期からであり、爾後彼は民主化と統一の闘士として自己改革を成しつつアンガージュマンを「私の新たな広野」として歩み獄中闘争をも展開する。民族文学作家会議の要職について再度にわたり南北作家会議を提唱して、行動を起し検挙された。2000年の6.15南北首脳会談に随行代表の一員として参加し、歓迎晩さん会で自作の「大同江を前にして」(全9連95行)を朗読して民族統一史の一ページを詩で飾った。

 高銀は、風と星と雲、大地と森と林、山と海と河、そして宇宙そのものを身丈でとらえようとする壮大な詩人である。そして、宇宙的視点からの社会的現実へのアプローチが、愛国詩人としての高銀を際立たせている。

 本詩選集は、1960年の「歌」から2001年の「瞬間の花」まで、全部で55編の詩を年代別に収録し、高銀の「日本の読者へ」と自伝的エッセー「詩は誰なのか」、それとアンガージュマンの文芸評論家崔元植の解説および詩人辻井喬の跋文によって構成されている。作品は編者が高銀との合議で精選されているだけに、この詩人の全体像を両掌で掬いあげて、その精神遍歴とアンガージュマン詩人に至る変革の苦闘を鮮明に刻印しており、民主統一志向の韓国現代史の中における高銀の存在の意義を定立している。

 当然といえばそうなのだが、誤訳がなく、原詩の微妙な語法とニュアンスをこなれた日本語で伝えようとする訳者の彫心鏤骨の名訳も本書の声価を高めるにちがいない。また訳注も極めて適切で作品の理解を深めるたすけとなっている。

 崔元植の秀抜の高銀論も、この詩人の詩精神の内奥に迫り、韓国現代詩におけるその位置を正確に定めていて、詩論としても読み応えがある。辻井喬の跋文が「高銀問題」の重みを提示し、ほとんど読者を獲得できていない日本の現代詩(ちなみに高銀の詩は人口に膾炙している)に、高銀の詩が突きつける問いに言及していることにも注目したい。(解説=崔元植、辻井喬、藤原書店、3600円+税、TEL 03・5272・0301)(辛英尚・「韓国」文学研究者)

[朝鮮新報 2007.5.15]