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〈本の紹介〉 21世紀仏教への旅 朝鮮半島編

朝鮮の風土と歴史への愛

 この本は今年の正月にNHK−BSで放映された番組「五木寛之 21世紀・仏教への旅」朝鮮半島編を本にしたものだ。

 2500年前のブッダの教えが21世紀に生きる私たちになにを語っているのか、インドから朝鮮半島、中国、ブータン、米国自分の足で旅しながら仏教について考え、その可能性を探っている。

 五木寛之は、学校教師だった父母が日本が植民地として支配していた朝鮮半島の学校に赴任することになり、生後まもなく玄界灘を越えて、朝鮮半島に渡った。論山、ソウル(京城)、平壌で幼年期を過ごし1947年に敗戦の混乱のさなか日本に引き上げてきた経歴を持つ。そのせいか、この本を呼んでいると著者の朝鮮の風土と歴史への愛が感じられてとても心地よい。まるで日本で生まれて育った在日朝鮮人である私たちの代わりに、祖国の古寺と山河を歩き歴史を語ってくれているようである。

 三国時代(新羅、高句麗、百済)から朝鮮は儒教と仏教が習合した国であったが、高麗時代は仏教の信仰が厚い時代であった。高麗では釈迦が亡くなったあと弥勒仏が現れるまでの間、人々を苦しみから救う地蔵菩薩や毘廬舎那仏(宇宙の中心にいる仏)に対する信仰が強かった。モンゴル(元)の侵略に苦しんだ高麗人は「八萬大蔵経」の経典を刻んで、外敵から国を護ろうとした。「すべてはひとつのこころからはじまる」「この世のすべては自分の心がつくりだす」「一木一草のなかに仏が宿っている」という華厳の教えに、高麗人たちは救いと生き続ける力を得たのである。

 著者は新羅仏教の双璧・義湘と元暁の伝説や般若山灌燭寺の「恩津弥勒」、慶州・皇竜寺址、芬皇寺址、智異山・華厳寺などを紹介しながら「仏教は真っ暗な夜の道を照らしてくれる光であってほしいと私は思う」と述べているが、著者が朝鮮仏教にふれて感慨を新たにしたのも仏の導きであるように思えた。(五木寛之著、講談社、1700円+税、TEL 03・5395・3516)(洪南基、科協会員)

[朝鮮新報 2007.5.19]