〈人物で見る朝鮮科学史−29〉 高麗の科学文化(2) |
木版印刷技術の頂点、「八万大蔵経」
印刷術は中国の四大発明の一つに数えられるが、現存する世界最古の印刷物は新羅時代の仏国寺釈迦塔から発見された経文「無垢浄光大侘羅尼経」であり、印刷術自体も新羅が最初かもしれないということはすでに紹介した。その木版印刷技術を受け継ぎ完成度を高めたのは高麗にほかならないが、とくに1236〜1251年に制作された「八万大蔵経」はその頂点に位置するものである。 現在、高麗時代の遺物でユネスコの世界遺産に登録されているのは、慶尚南道の伽耶山・海印寺のみであるが、それはこの八万大蔵経の版木が保管されているからである。制作された当初は江華島に保管されていたが、1398年頃に海印寺に移された。保管庫は風が入る窓と出る窓の大きさを変え換気が全体に及ぶように設計されており、実際に観測を行ったところ年間を通じてほとんど同じ温度と湿度が保たれていたそうである。 版木の大きさは、縦約24センチ、横約72センチ、厚さ約3センチ、材質は白樺や山桜などで、数年間海水に浸した後に乾燥させて版木とした。全体に漆が施され23列に14字が両面に刻まれている。また、四隅には銅製の箍がはめ込まれ、木版それ自体が一つの彫刻品となっている。この版木による印刷物もぼう大な量となるが、その印刷本が平安北道妙香山・普賢寺に保管されている。この一帯は歴史博物館として整備され一般に公開されている。
余談になるが、以前に「韓国近代科学技術人力の出現」の著者である全北大・金根培教授の案内で海印寺を訪れたことがある。その時、金根培教授に「版木と印刷物の両方を見たのは私くらいでしょう」と冗談交じりで言ったところ、学会でも生真面目な人と定評のある彼は「本当に、そうですよ」と感心するように答えてくれたことが印象に残っている。 ところで、八万大蔵経にはいったい何が書かれているのか、気になる人も多いのではないだろうか。大蔵経とは、経・律・論を集成した佛教の全集のことで、経は釈迦の教え、律は佛教徒としての行動規範、そして論は経や律に関する研究、解釈をまとめたものである。それ以前にも、いくつかの大蔵経が制作されたが、この八万大蔵経はもっとも完成度が高く、その後の大蔵経の底本となっている。 このように、質、量ともに木版印刷の最高峰といえる八万大蔵経であるが、留意すべきことがある。それは、その制作意図であるが、当時、高麗は元の侵入にあい、王室も江華島に移されていた。そして、仏教の力を借りて侵略者を追い払うという願いをこめて制作されたのが八万大蔵経であった。中世科学には迷信的なものが混在していると述べたが、八万大蔵経はまさにその典型といえるだろう。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長) [朝鮮新報 2007.5.24] |