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45回の歴史刻んだ日朝友好展 469点の作品、2000余人が観覧

「相互理解深める貴重な場」

孫用順 「カサブランカ」

絵画・小林晃 「カジュマル」

 第45回日朝友好展(全絹枝実行委員長)が5月28日〜6月3日まで、同運営委員会のもと神奈川県の横浜市民ギャラリーで行われ、延べ2000余人が観覧に訪れた。

 今年も朝・日の芸術家ら127人による絵画、写真、書芸、工芸、彫刻、生花、詩歌など238点と神奈川県下朝鮮学校と西東京朝鮮第2初中級学校の児童、生徒らの作品231点が展示された。

書芸・李裕和 「同胞」

 1960年から開催されてきた同展は朝・日の芸術家、愛好家、市民らの協力で幾多の困難を乗り越えながら、45回目の歴史を刻んだ。同展には、両民族の友好と連帯の発展と日本国と朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化、一日も早い朝鮮半島の自主的平和統一の願いが込められている。

 同展の開催を祝してメッセージを寄せた松沢成文・神奈川県知事は「市民同士が互いの文化に触れ合う機会は大変重要であり、このたびの『日朝友好展』によって、相互理解と交流がよりいっそう深まることを心から願っている」と述べた。

 また、総連神奈川県本部・鄭喜Q委員長は「一部の心ない人たちによって朝・日関係を取り巻く情勢は厳しく反朝鮮、反朝鮮人感情を煽る風潮の中での『日朝友好展』開催は、朝鮮と日本の関係史を正しく認識し、文化芸術を通し相互理解を深める意義深く貴重なものと思う」と指摘した。

 会場には多種多様の作品を楽しみ、詩歌や書芸の前で足を止め感慨深げに作品に見入る人や、朝鮮の刺繍作品に「この作品が刺繍で施されているのかぁ」「目元のラインはとても美しくてすばらしい」と感嘆する人の姿が見られた。

出品された神奈川県下朝鮮学校、西東京朝鮮第2初中級学校児童・生徒の作品

金春田(朝鮮) 「善竹橋」

 2日の午後3時からは、同会場で特別記念映画「110年ぶりの追跡・明成皇后暗殺事件」(鄭秀雄監督)が上映された。会場は大勢の人であふれた。この作品は、第1部「彼らは浪人ではなかった」と第2部「謝罪、そして真実」で構成されている。

呉炳学 「仮面」

申英愛 書芸「枇杷」

 明成皇后暗殺者の後裔の謝罪から始まり、同事件の真相を追ったドキュメンタリー作品は、多くの人を驚かせた。

 同展に絵画を出品し映画を鑑賞した元教師の仁井妙子さんは、「この作品を見るまで暗殺事件についてまったく知らなかった。先祖の罪を韓国にまで行って謝罪した両氏のように民間だけでなく、政府が責任を持って謝罪しなければならない。今の日本のままでは、子供たちが今の大人以上に何もわからない人間に育ってしまう。国と国のあり方、価値などわからなくなってしまう」と語った。

姜青 「海」

朴貞花 詩歌「友好の樹」

 倉田みゆきさんは日本政府、マスコミのあり方に疑問を持ちながら「今回の『慰安婦』問題でもそうだが、米下院の決議案のように誰かに言われなければわからない国だから、アジアおよび他国のメディアがもっと日本を批判してほしい。加害者側と被害者側では歴史事実を追及する力がこうも違うものか」と指摘した。

 また、群馬朝鮮初中級学校に何度か訪れて同胞たちの話を聞いた経験をもつ倉田さんは「解放直後、食糧難にあえいでいたときでも、在日朝鮮人たちは自らニンニクやニラなどを植えみんなで力を合わせて困難を乗り越えていったことなど、日本人にはない結束力がとてもすばらしいと思う」と語った。

 同日夕、記念交流パーティーが開かれ、宴に先立ち45回もの歴史を刻んできた同展運営委員会の岩田昭三郎代表委員、神谷量平顧問、栗原治人事務局長、故脇坂茂樹氏夫人らに総連神奈川県本部から感謝状が贈られた。

 また、総連中央・徐忠彦国際統一局長があいさつをし、同展に敬意と感謝の意を表し「絵は政治の壁をぶち破る、対立を乗り越える力を持っている」と述べた。

 歌い踊り、和気あいあいとした雰囲気の中、なお交流を深め展覧会を50回、100回と続けていこうと語り合った。(文=姜裕香記者、写真=文光善記者)

灯守り続けたのは私の誇り 全絹枝・実行委員長

鄭喜Q委員長(左)、全絹枝実行委員長(中)と岩田昭三郎代表委員

 会場には、孫娘をモデルに描いた「舞踊手」3枚の絵を前に、全絹枝実行委員長の笑みを絶やさぬ姿があった。躍動感あふれるアクリル画からは、朝鮮舞踊の華麗さと躍動感が伝わってくる。

 全さんは、歴史を重ねてきた同展で長い間実行委副委員長を、一昨年からは女性初の委員長を務めてきた。今回は絵と写真を出品する傍ら、20余カ国を訪ねたスケッチ旅行写真集「世界遺産をたずねて」を刊行した。

 「病床にあった夫の看病もあったが、みんなの力でやり遂げられたことは幸せなこと。一口に45年というが、本当にいろいろなことがあった。近年、情勢が緊張し、横浜市内でも女子学生のチョゴリが切られたりしたこともあった。そのつど、市民同士が話し合い、プロアマの区別なく、文学芸術の愛好者が友好展の灯を守ってきた。このことに汗を流せたのは、私の誇り」

[朝鮮新報 2007.6.6]