〈同胞美術案内A〉 金昌徳 在日朝鮮人美術の基礎作った1世の画家 |
弱者の生活、穏やかに伝える
人はあらゆる媒体を通して生活を表現してきた。表現することでそこに理想を見、時には表現することで何かを強く訴えもする。 芸術、とりわけ美術は人間の生活をどのように表現するのだろうか。そしてそこに何を託し、さらに見るものに何を伝えるのだろうか。 「貧しい生活」。画面右下にキセルをふかす男性、左やや奥に女性と子ども、画面中央には石焼き芋を売る台車が描かれている。遠景には、画面上部にぐっと押し上げられた地平線に沿って、大小の古びた家屋が不揃いに並ぶ。極端に小さく描かれたこれら家屋によって、画面に充分な遠近感が備わり、それゆえ手前に描かれた人物や台車がこちら側へと迫ってくるようだ。
家屋の列の左右両端に、画家の工夫であろう、台車の車輪中心部へと向かう斜線が施され、地平線を底辺に、そして、車輪中心部を頂点にした大きな逆三角形が、作品全体に安定感を与えている。 作者はこの焼き芋売りの家族を、茶色を基調とした画面へと移し替える。粗末な家々とだだっ広い空き地。休憩のひとときが丹念に描き込まれている。 女性のズボンや靴、台車の上に重く乗せられたドラム缶や煙突の黒色が、茶色の画面を引き締め、さらに「やきいも」と書かれた看板の赤、子どもの服の青が、そこにそっと色彩を添えている。 音さえ失ったかのような「静」のこのひとこま。薄明かりの空に揺れる煙だけが「動」となり、画面に時を刻んでいる。 1960年に描かれたこの作品には、異国での生活を強いられた在日朝鮮人の生活が克明に描かれている。 台車の車輪の円形と呼応するように描かれた丸められた男性の背中、落ちくぼんだ目元、深く刻まれたしわが、極貧の生活をありありと伝える。乳飲み子をしっかりと抱き、両足で立つ女性からは、困難の中でも揺るぐことのないしたたかさが感じられる。 画面中央には、焼き芋売りの台車が大きく、そして十分な存在感を持って描かれる。生活の糧がこの焼き芋売りにゆだねられ、当日の食料さえ事欠いていた同胞の日々を象徴しているのだ。 生活を情熱的にというよりもむしろ、穏やかに伝えるがゆえに、描かれた情景が見る者の心に強く響く。 ここに描かれた姿こそまさに、在日朝鮮人の出発の姿なのである。 作者は金昌徳(1910−1982)。戦中より二科展に出展し、戦後は行動美術協会に発足当初(1945年11月)からそこに参加した。 1947年から在日朝鮮人美術家協会、1952年から在日朝鮮美術会に参加し、副会長・会長を歴任する過程で在日朝鮮人美術の基礎を作り上げた1世の画家である。(白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻) [朝鮮新報 2007.6.6] |