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〈朝鮮と日本の詩人-30-〉 なべくらますみ

 手の中にある一個の林檎/あおいばかりの/冷たかった肌が/少しずつ体温に近くなる/歯を当てると/ほとばしる酸っぱさ

 果実は色づく前に枝を離され/甘さも知らずに私の手にある/一冊の本とともに/この果実に与えたかったもっとの光り/じゅうぶんな丸みと/つややかな肌が得られるまで/風や雨の季節はあっても/きっと訪れると自らの実りの日々を数えていた/あまりに堅い果実/早すぎた/無理な収穫/握り締めても/息を吹きかけてももう望めない成熟

 若く逝った詩人・李陸史は/あおいぶどうに/捕えられた故郷と人を思い泣いた/同じ季節の/未熟な果実の酸っぱさは/苦さに似ている

 この詩「果実」は人によって解釈の仕方が異なる作品であるが、詩人李陸史を悼むことで朝鮮民族の受難に献じられた鎮魂の作品と読むことが可能である。李陸史(本名源禄)は1904年に慶尚北道安東郡に生まれた。25年に独立運動の団体である義烈団に加わり、27年に逮捕されて3年の刑に服した。このときの囚人番号が64(ユッサ)であったことからペンネームを陸史にしたという。出獄後、中国の文豪魯迅を知って詩作の道に入った。43年に再び検挙されて北京監獄に収監され1年後に獄死した。「青ぶどう」「絶頂」「広野」などの詩は抵抗詩の絶唱と評価され、尹東柱と並び称せられる抵抗詩人として人口に膾炙している。

 詩「果実」は詩全体が暗喩となっている。第2連3行目の「1冊の本」は陸史の詩集である。これに続く3行は陸史への愛惜の情にあふれている。「あおいぶどうに」という詩行は、明らかに陸史の詩「青ぶどう」と結びついている。「早すぎた/無理な収穫」の2行は、陸史の死と重ねて、朝鮮の植民地化をほのめかしている。最後の1行は明らかに、朝鮮と陸史を奪った日本への詩的抗議。

 なべくらますみは1939年に東京で生まれた閨秀で、知性を抒情で詩に昇華させるような硬いリリシズムが特異である。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.6.7]