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「鉄条網に咲いたツルバラ」 出版記念のつどい

軍事政権下で闘った南朝鮮女性労働者たちの記録

肩を組んで南の闘争歌をうたう参加者たち

 2日、東京都千代田区猿楽町の韓国YMCAアジア青少年センターで、著者と本に登場する3人の女性を招いて「鉄条網に咲いたツルバラ」出版記念のつどい(主催=ツルバラの会、協賛=同時代社)が開かれ、約150人が参加した。

 つどいでは、まず、グローバリゼーションの下で闘うアジア女性たちの姿を描いたビデオ「捨てられた人形」(韓国の部分のみ)が上映され、著者の朴敏那さんが「女性労働者の取材を通して感じたこと」について語った。

朴敏那さん

 朴さんは、梨花女子大英文科卒業後、現場の労働者として働き、85年の九老同盟ストライキに参加した。8人の労働者たちへのインタビューは、自分の人生に大きな影響を与えたと話しながら「8人みな、最初はとても恥ずかしがって取材を受けないと言った。しかし、この経験を若い世代に伝えなくてはと、熱心に説得した。

 話す過程で過去の記憶がよみがえり、時には涙を見せ、また時には明るく笑いながら、彼女たちは自分の人生を見つめなおし、幸せで良い経験をしたと語ってくれた。本当の姉や親友、先生のように、愛しく尊敬できる女性たちである。本書が日本語に翻訳されて、たくさんの人たちに読まれるのはうれしい」と語った。

女性の闘いに言及

尹惠蓮さん

朴性姫さん

李撫さん

 続いて3人の女性たちが、「女性の貧困克服のための活動と自立支援センター」(尹惠蓮さん)、「馬山自由貿易地域のいま」(朴性姫さん)、「韓国女性労働者運動の過去・現在・未来」(李撫さん)についてそれぞれ発言した。

 尹惠蓮さんは85年、九老同盟ストライキに労組事務局長として参加し、解雇されたあと、闘争中に逮捕された。現在は、ソウル女性労働者会会長、九老自立支援センター館長、韓国自立支援センター協会ソウル支部支部長として、失業女性と低所得女性のための自立支援活動を行っている。

 「先ほど、85年の『パン(監獄)』に入って出てきた時の映像が流れましたが、今日は昔の話ではなく、現在のことを紹介します」と言って尹さんは、全国242カ所に設置された自立支援センターの歩みについて述べた。

 97年の通貨危機によって労働者の解雇、とりわけ、未熟練、低学歴、中高年、女性世帯主の失業状態の長期化が深刻化した。01年に設立された自立支援センターでは、非正規職にすらつけなかった女性たちが清掃、障害児教育支援、介護支援、妊産婦の家事支援、縫製事業などに携わっている。

 朴性姫さんは、89年11月15日から90年6月8日まで206日間にわたり、日本で「韓国スミダ闘争」を繰り広げ、廃業に伴う補償交渉を妥結に導いた女性である。現在、全国女性労働組合慶尚南道支部事務局長として働く。朴さんは、「89年は27歳だったのに、今は45歳になった。その間結婚し、夫と13歳になる息子がいる」とあいさつ。当時の支援者たちを前に、感極まって込み上げてきた涙をぬぐった。

 李撫さんは、アジアの女性たちとの連帯を求めて活動してきた女性。現在は「働く女性アカデミー」で、女性労働運動でリーダーシップを取り得る人材の育成に取り組んでいる。李さんは、60年代、散発的に発生していた劣悪な労働環境に抗議する女性労働者たちの闘いが、70年代に入り軽工業生産職女性労働者の抵抗へと拡大、80年代には事務職女性労働運動の出現、87年以降90年代の労組内の男性中心的ヒエラルヒー(封建社会のピラミッド型身分制度)批判へと進んだ系譜をたどった。

連帯の歌声

つどいには約150人が参加した

 つどいでは、韓国民衆歌謡「ノレの会」による闘争歌が披露され、場内が力強い歌声で包まれるなど、熱気を帯びたものとなった。「工場のともしび」「共に行こうこの道を」「鉄の労働者」「君のための行進曲」「朝露」を歌いながら涙を流す参加者たち。連帯のきずなを確認した瞬間でもあった。

 青森県から参加した坂本美幸さんは、「本のタイトルにある鉄条網が工場のものなのか、刑務所のものなのかが気になった。読み終えて、どちらのものでもあることがわかった。ツルバラは塀、柵、障害物を乗り越えて咲くバラである。とても適切なタイトルだと思った。発刊の辞に書かれた、風呂敷包みを抱えた少女たちは、集団就職をしていた青森の40年前の姿と重なる。格差社会は女性労働者に対する締め付けを厳しくするばかり。今こそアジア女性たちの連帯が必要だ」と語った。

 つどいを終えて参加者たちは交流会を開いた。これを機に、後日、名古屋、大阪でも交流会が開かれた。出版を支えた「ツルバラの会」の会員は、全国に200人あまりいるという。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2007.6.8]