〈人物で見る朝鮮科学史−31〉 高麗の科学文化(4) |
版画の手法を生かした良質の高麗紙
朝鮮が世界に誇る高麗の金属活字印刷であるが、そのためには解決しければならないくつかの問題があった。まずは、金属活字それ自体を鋳造する金属加工技術である。古代から新羅に至る金属加工技術については、これまでも言及してきたが、その高い技術は高麗にも受け継がれた。いくつかの具体例を挙げてみよう。996年に朝鮮で初めて通貨が鋳造されたが、とくに1102年「海東通宝」1万5000貫の鋳造がよく知られている。当時、「高麗銅」は最高の品質を誇ったが、例えば八万大蔵経版木両端の銅板はその純度が99.6%にも達していた。また、現在も朝鮮の食卓で見られる真鍮(銅と亜鉛の合金)の器が作られはじめたのも高麗時代のことである。さらに、製鉄技術は巨大な仏像を鋳造するほどに発展した。そのような金属加工技術は芸術品へと昇華し、金属表面に模様を刻みそこに別の金属を埋め込む独自の象眼手法が生まれた。 次に重要となるのはインクである。木版印刷であれば水性のインク、すなわち従来の墨で十分であるが、金属活字印刷では油性のインクが必要となるからである。例えば「油煙墨」と呼ばれるものは、油を燃やしその煙を遮るように皿を被せ、そこに溜まった煤を膠で固めたものであるが、その煤を油で溶いて油性インクとしたと推測される。ただし、どのような油をどのような比率で混ぜたのかということに関しては筆者が知るかぎり研究が行われていないようである。
次に印刷に不可欠なもの、それは紙である。紙それ自体は中国の発明であるが、中国ではおもに麻を原料としていた。ゆえに、その紙質は粗いものであったが、高麗では楮を材料に質の高い紙を生産した。それは白く滑らかという意味で「白錘紙」と呼ばれ中国にも輸出された。1637年に刊行された中国の有名な生産技術書「天工開物」には、朝鮮紙の原材料はわからないと記されているが、中国には楮の木はほとんど自生しないからである。ちなみに日本の「和紙」の原料も楮で、それは朝鮮から楮を原料とする製紙技術が渡来したからにほかならない。ドイツのグーテンベルグはワインの醸造に用いたブドウの搾り器からヒントを得て印刷機を発明したが、それは西洋の紙質は固く強い力で押さなければうまく印字されないという事情と関連している。反面、質の良い高麗紙ではその必要がなかったので版画の手法をそのまま用いたのである。ただし、印刷機の発明は大量印刷を可能とした画期的な発明であり、グーテンベルグの功績は高く評価されるものである。 金属活字印刷は朝鮮王朝第4代の世宗時代に全盛期を迎えるが、その詳細についてはいずれ詳しく述べることにしたい。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長) [朝鮮新報 2007.6.8] |