top_rogo.gif (16396 bytes)

〈遥かなる高麗への旅 朝鮮史上初の統一国家@ 古都 開城〉 千年の歴史刻む

輝かしい文化 

分断後初、統一列車の試運転

 今、朝鮮半島のほぼ中央38度線の南に位置する開城が世界の耳目を集めている。5月17日、北と南をそれぞれ出発した京義線と東海線の列車が、朝鮮半島を横切る軍事境界線(MDL)を分断後、初めて通過した。ソウルから開城に往来する自動車の数も一日当たり200台を超えているそうだ。 おおよそ半世紀以上にわたる北と南の分断を乗り越え、民族の悲願である国と民族の統一に向けて歴史の大きな歯車が動き出した。まさに開城はその象徴といえる。

970年に建立された観音寺(現在の建物は1646年に修復されたもの)の仏壇(左)と観音寺の仏像

 私は友人たちと話をしながら、自分たちは「歴史を習えなかった」「朝鮮史をもっと知りたい」という言葉をよく耳にした。国の歴史を知ることは自分のルーツを知ることであり、民族の誇りを抱くことにもなる。私自身歴史の専門家ではないが、以前高麗人蔘について調べたことがきっかけで開城に興味を覚えるようになった。幸いこのたび、本紙写真部の文光善記者が開城を訪れすばらしい写真を撮影してきた。開城を見守る母なる山・松嶽山、天下の名勝・朴淵瀑布、王朝の宮殿跡地・満月台、南大門、瞻星台、王建陵、恭民王陵、成均館跡地にある高麗博物館、天台仏教の総本山・霊通寺、観音寺や安和寺、「東方朱子学の祖」と評された大学者で政治家・鄭夢周の居宅だったッ陽書院や善竹橋、朝鮮王朝時代に名を馳せた才色兼備の女性詩人・黄眞伊の墓など世界遺産に申請中の史跡や名勝などである。

 遥かな高麗に思いを馳せ、開城の歴史や高麗の文化に触れてみたいと思う。

海洋強国、文化大国を創り上げる

千年のことの面影ただよう開城市の町並み

高麗王朝の王宮址

 高麗は古朝鮮から連綿とつながる朝鮮史における初めての統一国家である。世界で知られている「コリア」という名前も高麗に由来する。檀君朝鮮を継承し、三国時代に東北アジアに一大強国を築いた高句麗の伝統と栄光、新羅千年の歴史を抱き、王建によって高麗が建てられた。「高麗」という国号も「高句麗」から取ったものだ。

 高麗が成立した918年から1392年までの474年間、中国大陸では数十の国が興っては消えていった。高麗人たちは契丹(遼)、女真(金)、蒙古(元)による侵略と数々の戦乱に巻き込まれても、それを勇敢に跳ね返し国と民族を守り東アジアに海洋強国と輝かしい文化大国を創り上げた。

 強靭な高麗人たちのその精神と現実感覚は現代に住む私たちにとっても学ぶところが多い。

政教分離、高麗青磁や世界初の金属活字

新緑に映える朴淵瀑布

大興山城の北門

 高麗は新羅の貴族社会から官僚社会に移行しながら土地改革を実施し、貧富の格差を縮めた。政治は儒学者が、宗教は僧侶が受け持ち、政教分離がなされた。貴族社会では両斑が形成され文官と武官の役割が分けられて文治の比重が大きくなった。翡翠色の高麗青磁や晴れ渡った秋空を思わせる透明な陶磁器、仏力によって蒙古の侵略者を倒そうとの願いを込めて木版の八萬大蔵経(ユネスコ世界文化遺産)を彫り、世界で初めての金属活字を発明するなど高麗人たちは数々の優れた文化を創りあげた。

 高麗17代仁宗(1122〜1146年)の時代に宋の使臣として開京(現在の開城)を訪れた徐兢は帰国して「高麗図經」(宋宣和6年1124年)という有名な本を書いたが、その中で当時の様子を「開京では町中どこでも礼、楽、詩、書を勉強し、宮中には数万冊の蔵書がある。人々の衣服制度も整い君臣父子の道を守り文化水準が高い」と書いている。

開かれた都−開京、世界遺産登録を申請

観音寺大雄殿(左)と安置されている観音菩薩

 高麗の首都は松嶽山のふもとに広がる開京。現在、「高句麗壁画古墳」に続いて開城の世界遺産登録準備が進められている。開京とは開かれた都という意味である。先進文物を広く取り入れ自分のよき伝統と均整を計ろうとした精神が込められている。蒙古の干渉を避けるため1232年(高宗19年)から1261年(元宗2年)までの29年間、そして哈丹兵乱のあった1291年(忠烈王17年)から約10年間、江華島に遷都するが高麗時代のほとんど約430年間、開京は高麗の正都であった。江華は別都でそのほかに西京(平壌)、東京(慶州)、南京(漢陽・現在のソウル)などの別京があった。(文=洪南基、写真=文光善記者。)

[朝鮮新報 2007.6.11]