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ソウル・「慰安婦」問題アジア連帯会議に参加して

「日本の指導者はもっと悪くなった」

 「アジア連帯15年、今後の課題と連帯のために」をテーマに、「第8回『慰安婦』問題アジア連帯会議」が5月19〜21の3日間、韓国・ソウル市内のホテルで開催され、韓国100人余、朝鮮5人、日本50人余、また米、独、オランダ、豪、台、比、インドネシア、アムネスティ代表ら合わせて2百数十人が参加した。

日本は勘違いしている

決議文の採択を終えて閉会式を前にした参加者ら。前列中央が李容洙さん、その後ろが朝鮮の洪団長

 第1日目は夕方から、各国からの参加者の登録と歓迎会が行われた。筆者は航空機の都合で、もう終わりがけのころ会場に着いたが、「慰安婦」被害者の李容洙ハルモニがいち早く見つけてくれ、「もうほかの人たちは済ませてますから長沼さん、食事を先にしなさい」と気を配ってくれる。今春には米国議会で証言し、日本の議員会館でも証言、記者会見、安倍首相が訪米した時にはワシントンでの抗議集会にと超多忙な李容洙さんだが、いつも周囲にやさしい気配りの人だ。会場にはやがて民俗芸能団が繰り込んでチャングやチャンセナプなどの民族楽器に合わせて激しい踊りが続き、歓迎会を終えた。

 第2日目。朝、会議場に入るとまず尹貞玉梨花女子大名誉教授の姿が目についた。彼女こそ91年、民主主義を掲げる日刊紙として創刊間もなかったハンギョレ新聞に「挺身隊という名で戦地に送り出された従軍慰安婦」の実態報告を発表して、今日に至る「慰安婦問題」を提起したご当人だ。この報告をきっかけに韓国内を中心に「実は私も日本軍慰安婦だった」と名乗り出る人が相次いだ。間もなく尹さんらが市民、学者、宗教者・名乗り出たハルモニたちと一緒に発足させたのが「韓国挺身隊問題対策協議会」だ。そして同会がその翌年ソウルで開いたのが、第1回の「アジア連帯会議」だった。

沖縄に慰安婦慰霊碑を作ろう」と呼びかける尹貞玉さん

 当時からの常連メンバーである筆者は当然、尹氏と親しい。しかし「親しい」というのには記者として一種恥ずかしさが伴う。「日本の新聞記者がやって来て真面目に答えてきた。しかしそれで日本の何が変わったというのか」という元「慰安婦」被害者ハルモニたちの嘆きが聞こえてくるような気がするからだ。かつて筆者のそんな呟きを聞くと、尹さんは、「それでも知らせ続けてくれる記者は大事な仕事ですよ」とかえって慰めてくれたものだ。

 今回も尹さんには会議場で再会した。開会前、あいさつに行く。それから「第1回目から15年目になりますね。何か変わりましたか」と質問すると尹さんは、「変わったことといえば、日本の指導者は当時よりもっと悪くなっているような気がします。森首相のころから急に悪くなって、小泉さんや石原東京都知事が出てきてびっくりしているうちに、今度は安倍さんですか。私に言わせればもう常識以下。日本人は勘違いしていませんか。人間に必要なものは何ですか。国民基金がいい例です。金の出所が民間であろうと政府であろうと、ともかく金で解決できると思ったのが大間違い。ハルモニたちは人生を破壊された。青春を返せと叫ぶ。それに対して金をぽんとあげて済みますか。そうではなくて真心からの謝罪があれば、お金などなくてもいい。それがブッシュさんに向かって、心から同情すると言ったってだめですよ」と堰を切ったように話した。

安倍首相は謝罪を

共同声明を朗読する南北代表

 開会。亡くなったハルモニたちへの黙祷の後、主催者の挺対協、朝鮮代表、比国、日本共産党、台湾やインドネシアの被害者、日本や米国、豪州、オランダからの支援者代表が次々立って報告した。このうち挺対協代表は来年中に、戦争と女性に人権博物館をつくる計画紹介、朝鮮の日本軍「慰安婦」および強制連行被害者補償対策委員会の洪善玉委員長は「10月に米ロサンゼルスで開かれる『日本の過去清算を要求する国際連帯協議会』を強化し、米下院の慰安婦決議案成立を見守る」と態度表明した。同夜は全員で映画「ウリ・ハッキョ」を鑑賞した。

 第3日。日本に真相究明と国家補償のための立法化を求め、米下院決議を支持する決議、安倍首相に対し謝罪の手紙を求める要請文、南北共同声明の3件を採択して閉幕した。このうち南北声明は「北」のソン・チョルス書記長と「南」のチョン・テホ挺対協実行委員が並んで全文を一緒に読み上げるという感動的な場面が実現し、拍手が続いた。(長沼節夫、ジャーナリスト、写真も筆者提供)

[朝鮮新報 2007.6.11]