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〈人物で見る朝鮮科学史−32〉 高麗の科学文化(5)

世界でもっとも美しい高麗青磁

青磁蓮花唐草文瓶

 東京・南青山は都心の一等地として知られているが、その一角に有名な根津美術館がある。根津美術館は東洋古美術品を幅広く所蔵しているが、なかでも「青磁蓮唐草文浄瓶」は高麗青磁の逸品として知られている。高麗青磁は翡色あるいは秘色といわれるほど美しい緑色が特徴的な磁器であるが、この浄瓶はその代表といえるもので重要文化財にも指定されている。

 磁器の原料となる粘土には石英や長石が含まれ、陶器の焼成よりも難しい。磁器を英語で「チャイナ」というが、それは700年頃に中国で初めて焼成されたからにほかならない。

 しばしば、その技術が朝鮮に伝わり磁器が製作されるようになったといわれるが、すでに新羅末期には高温の還元焔による硬質土器が焼成されており、それらはかなり磁器に近かった(以前に述べたことがある渡来人が日本に伝えた須恵器の技術も、この新羅の硬質土器と同様のものである)。高麗ではその技術を発展させ青磁の焼成に成功したのである。

 最近の研究によれば、高麗青磁の基本となった土は、長石10%未満、白土80%の混合比で、とくに珪素とアルミニウム化合物の含有が特徴的で酸化鉄の含有量がきわめて少なく、釉薬もその土に長石粉を主成分として配合したものであることが明らかになっている。それらは有名な中国・宋の青磁とも異なる組成であり、高麗独自の工夫によるものである。さらに、素地にさまざまな文様を描き別な陶土で埋めて白や黒に発色させた象嵌手法は、もともとは金属工芸で用いられていたものであるが、これも独自の技法として高く評価されている。

青磁蓮花唐草文瓶

 世界でもっとも美しいといわれる高麗青磁であるが、朝鮮王朝へと時代が変わるとともに姿を消す。その理由には諸説があるが、次のような民話が伝わっている。

 「朝鮮時代の初め、世は白磁一色に変わったが、一軒だけ残された青磁工房に老工がいた。若い息子に青磁の秘法を伝え余生を送ろうとしたが、突然の流行り病のために一夜にして息子は死んでしまった。老父と若妻は泣き叫ぶが、愛する息子は帰ってこない。嫁は舅に、私に青磁の秘法を継がせてください、とすがるが老父はそれに答えず、一人工房に入り釉薬の調合を急ぐ。そして、盗視を防ぐために気を配るのだが、嫁が禁を犯して工房を覗き見る。これを知った舅は、工具一切をこわし自ら命を絶つ」

 残念ながら、なぜ、最後に青磁工房が一軒だけになってしまったのかについては何も語ってはいないが、中世の技術はごく内輪でのみ伝えられ、それを守るために執念に似たものがあったということを物語る。現在、高麗青磁を復活させようと多くの人々が苦労を重ねているが、翡色の再現には至っていないようである。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長)

[朝鮮新報 2007.6.16]