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〈朝鮮と日本の詩人-31-〉 港敦子

 朝鮮は、キレイナ絵本のなか、/外の国、ソトノクニ、だった/我が幼き時代、

 人間が人間を支配することの、/ニンゲンの世界が割れてはじけて、/血、血、血、/が溢れた、光州で、/それは1980年、5月18日、

 胸をつきやぶり、/ムザンで、尊い、残酷で、ひとびとの、開かれすぎた心臓は、正義と勝利の声に無数のシンバルを鳴らし、このドラマは、世界一大きな川がハンランする勢いで、操り人形ではない精神の闘い、となりスピードを増し、うねりうねりをくり返し、あの、美しい少女も、蝶のようなチョゴリを脱ぎ捨て/美しい少女を愛した青年も、老人も、赤子も、街全体が、眠るのを忘れ、堂々と、深く、/熱く、群がる顔となって、マーチングを、/民衆の高らかな行進を、続けに続けた、のである

 この、恨み、/刻まれた、シワ多く、/勇敢な群がる顔たち、男も女も声太く、/絵描きも叫ぶ、詩人も叫ぶ、まさに、人間の、ことばである。/やがて、不安に、急速におどろおどろしく? モノトーン/染まりゆく空と広場と道いっぱいに、無数の旗がなびく、タテにヨコに、色とりどりの旗は、右に左に、上に下に、/南に北に、太陽に月に、/主張するハングルの、朝鮮の、ひとびとの叫びことばであり、ぬめぬめと汗ばんで翻り、エキサイトして、たわわに、ひとつの魂、と、なった。これは、映画では、ない。/過去から、よみがえった、リアリズムである。(以下2連28行略)。

 「リアリズムをミル詩人、20年前の最初の」の冒頭からほぼ3分の2までの全文である。

 幼い頃、詩人の描いた南朝鮮のイメージは「絵本のなか」の美しい外国であった。しかし、光州人民蜂起はリアルな視点で南の地を捉える契機となった。南の夭折した革命詩人金南柱の光州詩を想起させる。

 港敦子は東京に生まれて国学院大学を卒業。地道に詩作に励みながら、南朝鮮を初め世界の詩・詩人を翻訳紹介している。アイヌの叙事詩や民謡の朝鮮語訳と朗読会への出演にも意欲を燃やしている。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.6.20]