「生き生きした教室共同体」に感動 映画「ウリハッキョ」を見て |
ある方は、この映画が民族主義に訴えたものだと言います。もちろん、民族主義的要素がたくさん含まれておりそれが感動のひとつの要素になったのも事実です。しかし、それがすべてでしょうか? 違います。お互いがお互いの励みになり、共に道を歩んでいき、自分より他人を先に考え、みんなが幸せそうにしている姿が感動的でした。 民族主義だけでは決してそのような感動は引き出せません。お互いがお互いの力になり一緒に歩む、自分たちのアイデンティティを守り、自分の信念を固く信じて守っていく姿は、韓国だけではなく、普遍的に認められる価値です。 日本の社会で正規の学校として認められず、差別と弾圧に苦しむ現実の中で、たくましく育ち、揺るがない子どもたちと先生の姿から健康さと、堂々とした姿勢を感じることができました。3年余りの間、ウリハッキョで子どもたちや先生たちと一緒に過ごしながら撮影し、1年6カ月間、ぼう大な撮影テープと格闘しながら制作された映画「ウリハッキョ」。最初から終わりまで子どもたちへの愛情を込めたまなざしで一貫しており、先生方と子どもたちの本当の気持ちが反映されたものになっています。 お互いをライバルと感じ、いわゆる「成功」のために他人をよく見ず、自分自身をも見つめない現実の中で、「ウリハッキョ」の描く生き生きした教室共同体を見るのは、私たち自身を振りかえらせ、胸の熱くなる感動をプレゼントされたようです。 民族を見なくとも、統一を見なくとも、充分胸を打つ、そんな映画であり、多くの方がネイバー(南朝鮮のポータルサイト)の評点10点を惜しげもなく与えたのです。 どのみち金儲けを目的に作った映画ではありまん。映画「ウリハッキョ」を見てたくさんの方が深い感動を受け、私たち自身を振り返ることができるのなら、映画の目的は達成されるのです。 「ウリハッキョ」に出てきた先生と子どもたちの姿から思い浮かんだ、金南柱の詩一編で文をまとめます。 「ともに行こうこの道を」 ともに行こうこの道を 道はぬかり 野に山あれど エイヤッと乗り越えて 君が転べば 僕が行って起こしてあげ (映画「ウリハッキョ」南の感想文より) [朝鮮新報 2007.6.30] |