〈人物で見る朝鮮科学史−34〉 高麗の科学文化(7) |
火薬製法に挑んだ崔茂宣
現在世界でもっとも有名な賞といえばノーベル賞であるが、ダイナマイトの発明でばく大な利益を得たノーベルの遺言によって制定されたことはあらためて述べるまでもない。ダイナマイトはニトログリセリンを原料とするが、それ以前の爆発物は中国の4大発明の一つとして知られる火薬である。火薬は10世紀頃の宋で発明されたが、高麗に伝わったのは14世紀のことである。 当時、高麗は倭寇の侵入に頭を悩ませており、海上で倭寇を撃退するためには火薬武器がもっとも効果的であると多くの人たちは考えていた。しかし、火薬の製法は中国でも最高の国家機密として秘密に伏されており、その製造は容易なことではない。そんな難事業に果敢に挑んだ人が崔茂宣である。彼は地位の低い両班の出身であるが、自宅に実験室を設け、私財を投じてそれに没頭したという。当時の火薬は黒色火薬で、その成分は焔硝(硝石)、硫黄、柳灰(木炭)などであるが、なかでも焔硝を得る方法が難しく、崔茂宣も苦労を重ねたが、なかなかうまくいかなかった。 焔硝の基本成分は、硝酸ナトリウムと硝酸カリウムの混合物で、15世紀の文献によれば古い寺院や大きな家の床に溜まった塵を集め、それを水で溶かして煮詰めて得たという。また、厠の尿が化学反応を起こして焔硝を得ることができるというが、なるほど、このような物質であればそれを得る方法をすぐには見出せないだろう。
崔茂宣もその情報を得ようとして、礼成江に停泊していた中国の貿易船の船員たちを尋ねまわり、火薬についての知識を持つという李元という人を探しあて、彼を自宅に招いて手厚くもてなし貴重な情報を得たという。研究者のなかには、火薬の製造そのものを教わったという人もいるが、それは中国の最高機密であり、また、李元が貿易船で高麗に来訪していたこと、さらにその後も崔茂宣は火薬を製造するために苦心したことから、その情報はやはり製法そのものではないという見解が妥当ではないだろうか。 1373年ついに火薬の製造に成功した崔茂宣は、それを倭寇の撃退に役立てるように上申するが、地位の低い者の提案ということですぐには受け入れられなかった。そこで、彼は実際に火薬を爆発させて納得させたという。1377年には火薬武器を製作する「火囀s監」が設置され「大将軍砲」をはじめとする数多くの武器が製作されるが、それらは1380年の鎮浦海戦、1383年の迫頭洋海戦で大きな威力を発揮し、倭寇に壊滅的な打撃を与える。 この戦いで大きな武勲を立てた武将の一人が後の朝鮮王朝の太祖となる李成桂であり、崔茂宣の火薬武器を自分たちの軍事力に組み入れようとしたことは想像にかたくないが、その際、崔茂宣自身はどのような立場をとったかは定かではない。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長) [朝鮮新報 2007.6.29] |