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〈同胞美術案内B〉 表世鐘 重みある幼児の存在に焦点あてる

誇らしげに綴った「朝鮮」の文字

「来年は僕たちの学校へ」1958年 162×130(センチ) 朝鮮民主主義人民共和国 美術博物館

 どこからともなく集まってきた3人の男の子が描かれている。中央の男の子は、力強く背伸びをし、振り上げた右手で壁に文字を書いている。画面左下の男の子はこちらを向いて座り、左手に視線を投げかける。画面右下に描かれた、大きな下駄を履いた男の子は、柔らかな髪を揺らせながら、ほかの2人と同様に何かを熱心に書いている。わき目も振らずにチョークを走らせる男の子たち。

 この画家は、この狭いどこかしらを通り抜けようとした時、ふと、3人の男の子を見つけ、足を止めたのだろうか。作品を見る人は、いつしかこの空間に入り込み、中央の男の子の、いままさに書き終えた「繕識(朝鮮)」の文字を、画家と一緒に見上げることとなる。

 「来年は僕たちの学校へ」。本作品をつぶさに鑑賞してみよう。

 画面構成は簡潔である。中央の男の子の右手を頂点に、しゃがみこむ2人の男の子を底辺とした大きな三角形が、長方形の画面にちょうど収まるようにして描かれている。空間把握はどうだろう。何枚もの板を連ねた木壁によって画面の奥行きはできるかぎり押さえられ、そのことによってここには描かれることのない、画面左右へと広がる空間が暗示される。画面右側奥に置かれた自転車の後部車輪が描かれないこともそれを強めている。一方、この自転車の向こう側には、なにかの柱と思われる一本の細い木材が描かれており、それが画面上部への広がりを感じさせる。

「虐殺」 1960年 198×227(センチ) 所蔵先不明

 これらとともに、本作品で最も着眼すべきは、画家の「目の高さ」である。画面を占める地面がそれほど広くなく、下部より3分の1ほどまでであることから、この作品を描いた作者の目の高さはそれほど高くなく、手前の子どもたちに近いことが見て取れる。この男の子はなにを熱心に描いているのだろうといった風にのぞき込む視線である。画家はその目の高さで中央の男の子のうしろ姿が目に止まり、その誇らしげに綴った文字を仰ぐ。この作品が、見る人を画面の中に引きつけ、その空間に入り込ませるのは、計算された構図と空間表現とともに、工夫を凝らしたこの「目の高さ」にほかならない。

 広い世界の中のひとつの空間。そこに集まる男の子たち。袖なしの上着に半ズボン。子どもの体には大きすぎる自転車。地面や壁に描かれた自由な落書きと、競うように綴られる朝鮮語のひと文字ひと文字。

 「来年」、この子どもたちが通う「学校」はどのような場所なのだろう。文字を書くということがこの時代にどのような重みを持っていたのだろう。そしてその「学校」は、誰に支えられたものだったのだろう。無邪気な少年たちの姿からさまざまな想像がふくらむ。

 制作年は1958年。前年に祖国からの教育援助費を受け取り、その喜びを胸に、日本に住む子どもたちへの民族教育が推し進められた時代である。小さな子どもたちの重みある存在に焦点があてられた作品。画家の子どもがモデルであると伝えられている。

 作者は表世鐘。帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)を卒業後、在日朝鮮人美術家協会(1947年結成)に白玲、金昌徳(同連載第1回、第2回参照)と共に参加している。東京朝鮮中高級学校で長らく教鞭をとり、教科書の編さんを手がけた。在日本朝鮮文学芸術家同盟美術部(1959年結成)に参加、制作を続け、1960年代に帰国している。在日朝鮮人1世の美術家である。(白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻)

[朝鮮新報 2007.7.4]