〈朝鮮と日本の詩人-32-〉 佐川亜紀 |
みどり色の湖は/豊かな胸の静かな呼吸のように/さざ波を果てしなく広げてゆく/陽光は波にくだけて/金色のステンドグラスを描く/ダンプカーがひっきりなしに通る大橋の向うに/相模湖ダムがある/遊覧船くじら丸が勢いよく吹き上げた湖水を/子供が手をまあるくして受けた/水と遊びたいんだもの/まあるい手の中の水は/かすかにゆれて/かすかにぬくんで/すこしずつこぼれて/生きている心臓のようだ/温かく柔かく血が流れ思い出のつまった心臓/あなたの魂をこのように受け取れるか/水道から唇をぬらし私の身体を流れる水/毎日横浜と川崎の人々をうるおす水/最新のエレクトロニクスを動かす電気/「一千kw発電能力当り、一人死ぬのが当時の見方」/「水には血が流れている」/この湖をダムを造った朝鮮人のあなたが/ない/あなたは確かに/存在したのに/ない/やっと建てた慰霊碑にもない/あったとしてもあなたの名ではない/「日本名」という呼び名/いきなり連れてこられいきなり付けられた呼び名/あなたの祖先があなたの家族があなたの故郷があなたの/土地が林が川が/生きて肉のように付いている名ではない(以下最終行まで17行略) 「湖の底で」の部分である。相模湖は神奈川県を流れる相模川をせき止めた人造湖である。ここにダムを建設するために、強制連行された多くの朝鮮人のなかから犠牲者が出た。観光地でもある美しい湖の光景を「子供の手」で象徴することで、ダム建設に秘められた悲劇を強烈に示している。「一千kw発電能力当り、一人死ぬのが当時の見方」という一行で難工事と犠牲者を浮かびあがらせ、「ない」と「名ではない」というリフレーンをもって、怒りの鎮魂歌であるこの詩のモチーフを鮮明にしている。 佐川亜紀は1954年に東京で生まれ横浜国立大学に学んだ。91年に右の「湖の底で」を含む第一詩集「死者を再び孕む夢」(91年詩学社刊)で小熊秀雄賞を受賞した。「韓国」詩の研究者としても知られている。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2007.7.4] |