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〈人物で見る朝鮮科学史−36〉 高麗の科学文化(9)

高麗の高い建築施工技術

妙香山・普賢寺万歳楼の欄干構造と軒

 現在、朝鮮半島には8つの世界文化遺産があるが、次の候補に挙がっているのが高麗の古都・開城である。朝鮮戦争時の爆撃を免れた開城には当時の面影を今に伝える数多くの遺跡があるが、その中心的存在が高麗の王宮址である満月台である。ただし満月台というのは通称で「望月台」に由来するといわれるが、高麗の遺臣である元天錫が「興亡は有数といえり、満月台に秋草が茂る」という詩調を残し、朝鮮時代の文人たちが紀行文に満月台と記したことから、この名がポピュラーになった。ちなみに、1920年代の哀愁漂う流行歌「荒城の址」も満月台のことである。

 高麗の太祖・王建は、僧・道詵の進言を受け入れ開城に都を開くが、その王宮も風水思想に基いて、松嶽山を背景に自然地理的条件に合わせて建設された。ゆえに、王宮内の建物はそれ以前の南北を中心軸とした直線的な配置とは異なる高麗独自のものとなっている。また、高麗では政治は儒教理念にもとづいて行い、宗教は仏教というように分けていたが、この満月台はその両方の儀式を行えるようになっていた。残念ながら宮殿は1361年に焼失したが、満月台のこのような特徴は朝鮮王朝時代のソウル昌徳宮にも受け継がれている。

 さて、仏教が盛んであった高麗時代にはたくさんの寺院が建立されたが、現存する最古の木造建築として慶尚北道の鳳停寺・極楽殿と浮石寺・無量寿殿がよく知られている。無量寿殿は桁行5間(正面、18.75メートル)、梁行3間(側面11.6メートル)の堂々たる建築物で、図はその横断面である。数多くの木を組み合わせて屋根を支えるようになっているが、このような構造を枓拱という。屋根から柱まで荷重がどのように伝達され、梁と柱がどのよう方法で連結されているのかがよくわかる。また、枓拱構造がそのまま天井となっているのも特徴的であるが、そこから設計上の綿密さと施工上の精巧さを知ることができる。枓拱構造はすでに三国時代から用いられていたが、現存するものはなく高句麗古墳壁画に描かれているのみである。

 さらに、高麗時代の高い建築施工技術を示す遺物に石塔がある。石塔については、すでに新羅時代の仏国寺・釈迦塔、多宝塔を紹介し、その構造に白銀比と等比数列などが適用されていると述べたが、高麗の石塔はそれをより洗練したものといえる。造形的特徴は形態が方形、六角形、八角形と多様であり、基壇の幅を狭くし層間を順次小さくして垂直的要素を強調していることである。有名な妙香山普賢寺の八角13層塔はその典型といえるだろう。そのほか、仏日寺・5層塔、玄化寺・7層塔が名高いが、それらは高麗時代の最高学府・成均館の建物をそのまま利用した高麗博物館に展示されている。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長)

[朝鮮新報 2007.7.20]