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若きアーティストたち(49)

舞踊家 趙純美さん

初のソロ公演「美粋」の最後を飾った「寺堂舞」

 6日初のソロ公演「美粋」を終え、ほっと一息をつく趙純美さん。民俗舞踊や創作舞踊、合間には民族楽器などを交えオリジナリティーあふれる華麗な舞台を披露した。300人を超える観客からは、「力強さの中に大きな創造性と心の温かさがたくさん詰まっているのを感じた」「文化の大恩の国、朝鮮の深さを感じさせてもらった」など賛辞の声が多数寄せられた。その裏には観客、共演者、スタッフはもちろん家族の大きな力があったと、支えてくれる人たちには常に感謝の気持ちを忘れない。また、趙さんも作品創りのために図書館に足を運び、歴史を学んだりと努力を惜しまなかった。

 朝鮮舞踊と接して25年。初級部の頃、朝鮮舞踊部の指導員がチャンゴを叩く姿に憧れて同部に入部。部活帰りにはクラシックバレエやジャズダンスを習いに行くほどの踊り好きだった。朝鮮大学校音楽科を卒業後、たっての希望であった金剛山歌劇団に舞踊家として入団。数多くのソロ、主役を務め、朝鮮や南朝鮮での公演でも活躍した。2004年、結婚を機に退団。これからの舞踊人生に影響を及ぼす結婚は、趙さんにとって一大決心のいるものだった。「古風な人間だから」と笑う趙さんは大好きな舞踊を続けるか、家庭を守ることに専念するか何カ月も悩んだという。しかし、そんな姿を見て舞踊活動復帰の後押しをしてくれたのは、ほかでもない夫だった。

高麗を建国した王建の妻の思いを表現した「神恵王后の願い」(創作)

 舞踊活動を再開後、初のステージは世界平和を謳う「ニューユース・ワールドピース」の招待出演。練習をするにも設備が整っていなかったので練習場を探しに区民集会場、個人スタジオなどを訪ね歩き回った。07年には「世界舞踊祭」に特別枠として参加し、高い評価を受けた。フリーランスで活動する中、プライベートで六本木ヒルズを訪れた際に「アカデミースクール」の看板を偶然目にした。さっそくセミナーを受けて面接をし、ビデオ審査を見事に通過して「六本木ヒルズ・アカデミースクール」講師に認定され、「コリアンダンススクール」を主催(現在休校中)。

 来年1月には東京都杉並区に「高麗舞踊芸術院−Korean Dance Academy of Arts−」を開校する。朝鮮民族5000年の歴史の中での初の統一国家「高麗」−朝鮮半島の統一への願いを込めて名づけた。

 「全てを惜しまず私を導いてくれた方たちのように、これからは私が生徒たちに教わったもの全てを与えていきたい」「朝鮮人ばかりではなく、いろんな国の人たちに朝鮮の歴史、舞踊の良さを少しずつでも知ってもらいたい」。スクールは対象者に制限はなく、初心者からプロ養成まで各級ごとにクラスを準備している。

「お客さんが喜ぶ姿を見るのが幸せ」と全霊を込めて舞う

 「一気に大きいものを目指すのではなく、階段を一段ずつ上っていくように一人ひとりにしっかりと教えていきたい」

 趙さんにとって愛する朝鮮舞踊は「血と骨」のような存在。幅広く普及していけるよう「常に向上心を持ち活動を続けていきたい」と希望を込めて語った。(姜裕香記者)

※東京朝鮮第9初級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校音楽科卒業後、金剛山歌劇団入団。ソウル、釜山、全州で公演。03年「国際芸術フェスティバル」(平壌)舞踊部門金賞受賞。退団後、フリーランスで活動。「六本木ヒルズアカデミースクール」認定講師。08年1月より「高麗舞踊芸術院」開校予定。

[朝鮮新報 2007.7.21]