〈本の紹介〉 「過去の克服」と愛国心 歴史と向き合う2 |
「朝鮮」と向き合うことが、解決の第一歩 改憲に照準を定めた国民投票法案を今春成立させた日本である。近年、戦前の治安維持法にも匹敵するような有事立法など数々の悪法があまり抵抗もなく次々と生まれ、その流れは止まりようがない。 そんな中にあって、朝日新聞が昨年度の年間企画「歴史と向き合う」を連載し、反響を巻き起こした。本書は、その連載記事を柱にしながらも、本として読みやすくするために新たに加筆、再構成したもの。 本書の内容に踏み込む前に、指摘しておかなければならないのは、日本の時代状況であろう。日本はいま、敗戦以来の、民主主義の危機に直面しているかのようだ。日本の過去を少しでも反省しようものなら、「自虐史観」などと悪罵を投げつけられ、「韓国、中国に迎合している」などの批判の飛礫が飛んでくる。天皇の戦争責任に言及した本島・長崎市長が銃撃され、その後継となって反核平和運動に取り組んだ伊藤市長は、白昼銃撃され、殺害された。 さらに、米下院外交委で日本軍の「従軍慰安婦」への謝罪を求める決議案が圧倒的多数で可決されるとこれをほとんどのメディアが無視する異常さ。戦争中、沖縄で日本軍の命令で集団自決した史実を教科書から消し去って恥じないその無神経な対応ぶり。声高に首相や政治家らが「美しい国へ」とアピールすればするほど、軍靴の響きが強まる恐怖を感じてしまうのだ。 こうした軍事大国化が進むなかで、企画された新聞連載とそこから結実した本書に、「勇気ある一冊」との言葉を添えたい気持ちがなくはない。しかし、この一冊を読み終えて消えないのは、日本の厳しい現状について「あまりにも及び腰」ではないかという率直な気持ちである。そして、日本の過去を、他国の過去と比べ、相対化しすぎてはいないかという疑問である。 さらに、踏み込んで言えば、日本の侵略責任を他人事のように述べようとする「深みのなさ」であろう。例えば、本書の「まえがき」にはこう書かれている。 「自国の国の歴史をどうとらえるのか、負の経験をどう総括し、将来の教訓とするのか。それは、責任ある政治家にとって必須の課題であるばかりでなく、…一般の市民にとっても、不可欠な教養の一部になりつつあるのではないでしょうか」 この物言いに愕然とするのは、筆者ばかりではないだろう。「歴史と向き合う」こととは、ブックガイドを手にして、物知りになるためではないだろう。時流に流れる日本社会への妥協を排し、そこに分け入り、警鐘を鳴らすことが知性であり、教養ではないだろうか。「歴史と向き合う」ことは、平易なことではない。 ほぼ世界を駆け巡り、ドイツはじめ各国の指導者らとインタビューしながら、肝心な足元・日本の戦争責任追及の試みが希薄なのが惜しまれる。なぜ、日本では、政治家、官僚、ジャーナリスト、学者らの間でかつての戦争を正当化し、美化する妄言が繰り返されるのか。 日本の民衆がなぜ、加害責任に鈍感なのか…。徹底的に追及してほしかった。 日本が「過去の克服」を語るとき、朝鮮との関係を無視して何ができるのだろうか。 近代日本が積み残してきた最も大きい難題を真に解決しようとする迫力のなさが残念に思えてならない。(朝日新聞社、1300円+税、TEL 03・3545・0103)(粉) [朝鮮新報 2007.7.23] |