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〈朝鮮と日本の詩人-33-〉 斉藤怘

子どもの遊び奪う酷薄さ

 美濃紙に古銭をつつみ/両はしを穴に通し羽根をつくる/オンドルは心地よくあたたまり/窓にとおく冬の海が見えていた

 一・二・三・四/足で軽くちぇぎをつくと/紙のふさはくらげのように舞い上がり/両腕はでくのようにおどるのだった

 うしろから蹴上げて前に落とす/前から蹴上げてうしろに廻わす/眼は舞い上がるちぇぎを追い/足は舞い落ちるちぇぎを蹴った

 陽だまりに子供たちが集まると/ちぇぎのつき合いがはじまった/校庭で 広場で 露地のおくで/子供たちのちぇぎを数える声がひびいた

 朝鮮の遊びだからということで/朝礼で秘蔵のちぇぎが集められた/その国から言葉をうばった人たちは/私から子供の遊びもうばっていた

 チェギは朝鮮独特の子どもの遊びである。第一連はチェギをつくる楽しさがオンドルの温みであらわされ、遊びへの期待が表出している。第二連と三連はチェギを蹴る技が展開されている。「くらげのように舞い上がり」「でく(あやつり人形)のようにおどる」という躍動感が巧みな直喩で明示され、「うしろから」「前から」という前後の感覚と「眼は…追い」「足は…蹴った」という機敏さがチェギのおもしろさを浮き彫りにしている。第四連は、チェギに打ち興じる子どもたちの天真爛漫な心と姿が映し出されている。このように初連から四連までだけを読むと、シューマンのピアノ曲「子供の情景」が聞えてくるような美しい詩である。しかし、第五連で一転して「チェギ」のテーマが鮮明になる。子どもの遊びを奪ったことへの怒りが滲出している。詩人はもちろん日本人である。しかし彼は、単に自分の楽しみを奪われたことへの怒りではなく「子供の遊びも」という強調で、日帝の植民地的収奪の酷薄さを告発しているのである。

 斉藤怘はソウルに生まれて旧京城帝国大学に学び日本敗戦で帰国し詩人を志した。学生時代から植民地政策を批判し、そのことで多くの朝鮮の友人を得ている。「葬列」をはじめ7冊の詩集を刊行し「H氏賞」の選考委員長として新人を発掘する業績を残した。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.7.30]