日本人の歴史認識−なぜ、こんなに情けないのか 安岡英二 |
「日朝平壌宣言に込めた希望実現を」
02年9月に小泉前総理が平壌に行き、金正日国防委員長との間で国交正常化に向けての会談が行われて、日朝平壌宣言が発表された。 小泉前総理が、会談後の記者会見で、過去の清算についてはこれまでのわが国の立場に沿ってやるという以外は言及せず、多くの時間を日本人拉致に関して費やしたことや、訪朝時のお茶一杯の接待も受けないといった日本側の非友好的な態度からは、国交正常化交渉の難航が予想された。しかし国際社会はこの平壌宣言を大いに歓迎したし、日本国内にも当初は同様のムードがあった。 オリンピックの開会式で南北コリア・チームが統一旗を掲げて入場してくると、観客席の各国の人びとはみな自然に立ち上がり盛大な拍手を送る。だれの目にも残っている印象的な場面だが、あれは世界中の人びとの希望をこめた心からの拍手である。 もしあの平壌宣言が言葉どおりの内実をもって履行され、盛り込まれた内容が実現されるよう相応の努力が払われていたら、日本はあの世界の希望にかなう東アジアのリーダーになれていたかもしれない。国際社会において、日本国憲法前文にいう「名誉ある地位」を占めることができたかもしれない。
その千載一遇のチャンスを日本はあっという間に逃した。植民地支配への「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」はどこへいってしまったのだろうか。政府とマスコミのほとんどが一体となり、苦しみのなかにある拉致被害者家族と、そのとりまきの右派勢力を利用して、国民を被害者意識にこりかたまった「北朝鮮憎し」へと煽りたてた。それを追い風に、政府はいくつもの戦争法案を成立させて軍事大国化への道を駈けおりている。 拉致被害とは比べものにならない大規模な、自国の国家犯罪に目をつぶって、国交正常化の相手である朝鮮民主主義人民共和国をバッシングすることのみに狂奔した結果、日本は国際社会においてどうなったかといえば、侵略戦争への反省がまったくなかったのだという「真意」が知れわたって、名誉どころか、いまや世界中の不信と侮辱の対象になっている。現在もイラク侵略戦争を続行中の米国のジャーナリズムからさえ痛烈な批判を受けたのだが、まともに反論することもできないありさまだ。私たちは日本人として残念でしょうがない。
なぜ、こうもたやすく、こんな情けないことになってしまったのか。それはやはり日本国民の歴史認識の在り方に問題があったのではないかと思われた。戦後民主教育の第一期生であった私たちにしてからが、自国の加害の歴史については学校でまともに教えられた記憶がないのだから仕方がない。植民地朝鮮についての研究書や書籍資料などは、私たちにとってはまったく無尽蔵ではないかと思われるほど多数ある。しかしそれらは学者や研究者や一部の関係者や読書人たちのあいだにとどまっていることが多く、総体としての国民の知的財産になっているとはとてもいえない。 朝鮮半島への日本の侵略の歴史過程や加害の具体的事実が、いわゆる床屋談義といわれるような卑近な話題にのぼるようになればいいと私たちは思っている。この時期に、歴史認識を含む朝鮮、韓国レポートをずぶの素人の私たちがやるのは、無謀に近いとは知りながら、述べてきたような思いに突き動かされて、もうやらざるをえなかった。 私どもはミニコミのため、販売ルートを持っていない。自分たちの訪問販売が主な販売方法で、あとは読者の口コミだけだ。公正な歴史認識のためには、もちろん学校教育が肝心ではあるが、こんなことをやる地下びとが100人、いや各県に一人ずつでも現れてくれば、日本人の歴史認識もまた、底の方から、少しずつ変わってくるのではないかと期待したい。(「四国西南海岸レポート」発行人) [朝鮮新報 2007.8.1] |