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〈朝鮮通信使来聘400年−8−〉 朝鮮物産の日本国産化

木綿、陶磁器、朝鮮人参などの貴重品

 日本では朝鮮の物産が国産化された。磁器、木綿、朝鮮人参などである。日本で茶道が盛んになると、李朝の磁器は日本で宝物のように珍重された。

 秀吉の戦争を「焼き物戦争」と呼ぶ向きがあるほどに秀吉軍は陶磁工をごっそりと連行して、世界に冠たる朝鮮陶磁器を焼かせた。

 そしてそれを「お国焼き」と呼んだ。

 しかし、その後も織部焼きの古田織部、小堀遠州などは、朝鮮に注文焼きをしている。御本とか御手本とかと呼ばれる「高麗茶碗」である。

 ともあれ、朝鮮磁器の国産化は、日本の茶道の茶碗と日常食器の一大革命であった。須恵器の伝来以来の画期である。

 朝鮮人参は、仙薬、妙薬として知られ、中国の古医書「神農本草経集註」にもその薬効のすばらしさが書かれた。

 奈良の正倉院に新羅の人参が記録されているから、日本に伝来した時期はかなり早いと言える。

 朝鮮人参は、高句麗時代に広く名を知られたので高麗人参とも呼ぶ。また本場が開城であることから開城人参とも言う。

 足利義満は、この高貴薬を熱望したし、秀吉は会津若松でその栽培を命じたが失敗をくり返した。

 徳川家康も人参の国産化を決意したが、果たせなかった。家光も水戸黄門や伊達政宗も試みて失敗する。

 しかし、ついに徳川吉宗の人参国産化プロジェクトにより、1728年、日光で栽培に成功する。「お種人参」日本産朝鮮人参の誕生である。

 吉宗の時代、輸入された朝鮮人参一斤(600グラム)の値段は、銀一貫440匁(小判で24両)と非常に高値であったから、国産化はやがて銀(外貨)の節約につながった。

 木綿の伝来と輸入は、江戸日本の衣料革命を起こす。高麗の使臣が元の国に行き、密かに持ち出した木綿の種子が朝鮮で栽培に成功したのが1363年である。

 日本伝来はその約60年後で、いきさつは定かではない。おそらく室町時代の日本使節か商人が持ち出したのであろう。

 しかし国内の需要を満たすため、朝鮮からの輸入は長く続けられた。輸入品の生糸(絹)の中に朝鮮産生糸があったかどうか定かでない。

 朝鮮の絹の歴史は古く、三国時代に日本の地に新羅出身の秦氏によって伝来されているが、江戸時代の朝鮮製生糸の輸入はわからない。

 当時日本でも生糸が生産されているが、京都の絹糸問屋は朝鮮からの高級品を利用していた。

 ちなみに、中国の蚕と朝鮮の蚕は、四眠型と三眠型で種類が違う。中国の蚕は、糸が太くて生産性に優れていたようだ。日本の蚕は、朝鮮の蚕と同じタイプである。

 木綿、陶磁器、朝鮮人参、どれも当時の江戸では貴重品であった。その国産化の成功は、日本経済史の画期的出来事である。

 陶磁器は伊万里焼として広く海外に輸出され外貨を稼いだし、木綿も明治の時代に朝鮮に逆輸入された。

 現在の日本での朝鮮人参生産は「年間300トンで、ほぼ90%以上が海外市場へ輸出されている。」(「朝鮮人参の世界」洪南基著)

 養蜂も、島津義弘が拉致した蜂飼匠によって始まっている。(金宗鎭、社協東海支部会長)

[朝鮮新報 2007.8.4]