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〈同胞美術案内D〉 全和凰 体験者、目撃者としての責任感を絵に

「これから描きまくるよ、朝鮮の悲劇を」

「カンナニの埋葬」 1950年ごろ 259.0×181.8(センチ) 所蔵先不詳

 画面上部から右半分に人の群れが描かれる。左手前に描かれた埋葬の見物者の波であろう。あるいは胸を打って慟哭し、あるいは顔に両手をあてて嘆き悲しむ。小さな亡骸は抱きかかえられ、いままさに、シャベルで掘られた地に葬られようとしている。

 「カンナニの埋葬」。題名にある「カンナニ」とは幼子のことである。

 作者・全和凰自身が書いた小説「二つの太陽」に収録された「カンナニの埋葬」の一部を引用する。

 「『これから描きまくるよ、朝鮮の悲劇を、命を奪う戦争の魔の手の様々な影像を描こうと思うよ。生きるために犇いている群像を描こうと思っている。そして罪もない可哀想な子供達の死を描こうと思う。カンナニの埋葬という題をつければ面白いと思う。あの幼児、なんの罪もないカンナニ(幼児)たちの死、その中には赤ん坊も沢山死んだに違いない。それを描こうと思う。(中略)』そうつぶやきながら和一は自分の意識の中にあったものを言葉に現すと、それらの様々な人間像がはっきり形態に見えて来るのだった。それが絵画的構成に組み立てられて浮かんで来た」(1967年 京文社 創作集『二つの太陽』)

 いま一度作品を見てみよう。

「銃殺−ある日の夢」 1950年・128×191(センチ)、所蔵先 京都市美術館

 画面は大きく左右に分けられる。右には地面に座り込む人物群が描かれる。そのなかには悲しみに嘆き、身をよじる女性の姿も見える。身をよじるというよりも半狂乱で舞う姿である。

 画面左には、右の群像とは正反対に3人のみが描かれ、シャベルを持つ人、亡骸、そしてその亡骸を抱きかかえる人物が描かれる。抱えられた死体は水平に描かれ、それがこの埋葬の図の生々しさを倍増する。

 画面上部には死体を運んできた台車が置かれる。幼な子の体にはあまりにも大きすぎる台車である。

 人物描写を見ると、画面全体に強い光があたり、明暗が著しく、描かれた人物はシルエットとして浮かび上がる。一人ひとりの表情が判別できないように表現され、この光景が現実を描いたものなのか、夢の記憶を描いたものなのか、判断しかねる。あたかも幻想世界を描いたかのようなこの描写は、作品を見る人に衝撃を与えるとともに、一幅の画面から埋葬の風景とともに、怒りと悲しみに満ちた雰囲気さえ伝える。

 朝鮮戦争によって死んだ幼い子どもの遺体を埋葬する様子と、それを悼み詰め寄った群衆。大胆な明暗のコントラストの中に感情をあらわにして震えあがる人物のシルエットを描き込み、非戦闘員たちの凄惨な被害とその死を描く。

 本作には、体験者、目撃者として描くという作者の確固とした責任感とともに、この光景こそ、二度と繰り返されてはならない民族の惨状であるという強いメッセージが込められている。

 作者は全和凰(1909〜1996)。平安南道安州に生まれた。20歳のころ朝鮮総督府の文化政策下に行われていた「朝鮮美術展覧会」に入選。日本に渡り須田国太郎に師事、関西を拠点に制作活動を行なった。1953年、行動美術会員に推挙されたほか、同年に結成された在日朝鮮美術会に参加し、関西支部長として活躍した。1963年、朝鮮美術家同盟員証が授与される。本作品のように、植民地下の生活や、朝鮮戦争中の無残な虐殺を取り上げたほか、1919年の3.1人民蜂起を題材にした作品(参考作品参照)、平和を願い慈愛に満ちた菩薩像も描いている。(白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻)

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[朝鮮新報 2007.8.18]